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初投稿にして大切なお知らせ(#兼自己紹介)

「ぼくのおじいちゃんは、タオル問屋の社長です」小学校1年生のコンクールで入選した私の作文の冒頭です。そして、その祖父が亡くなってから、あっという間に十三回忌を迎えました。私と60歳離れていたので、存命だったら満100歳になります。

福井の田舎を出て東京で丁稚奉公をし、戦時中は海軍に入隊、海外の戦地にも行きました。敵艦に何度も襲われましたが奇跡的に命を拾い、戦後すぐに、憧れの東京日本橋の地で「日東タオル」を起業しました。

孫の私が生まれた昭和55年(1980年)のころには、問屋街の日本橋横山町を中心に、5つの店舗と物流センターを構え、多くの社員がいました。幼い私にとっては、広い倉庫が格好の遊び場で、社員のお兄さんお姉さんは優しい遊び相手でした。家族と社員の境界線も曖昧な、昔ながらの家族的な会社でした。

一方で、残念ながら、私は、祖父が経営者として辣腕を振るう姿を一度も見たことがありません。祖父は、他の社員と同じ時間に出社し、同じ場所でタオルをたたみ、社員と一緒に同じものを食べていました。私が物心つく頃には70歳を過ぎていました。満点のテストで頭を撫でてもらい、ずる賢くおもちゃをねだる孫を甘やかすような「優しいおじいちゃん」でした。

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私は、大学卒業後、10年ほど仙台の企業でサラリーマンを経験し、7年前に家業の日東タオルに戻りました。当時、東日本大震災の直後で、景気は下降の一途をたどり、事業の見通しは暗いものでした。厳しい経営環境に、2代目の父や叔父も、私が後継者として入社することに迷いがあったそうです。

はじめの数年間、私の主な仕事は、収支のバランスを図るため、徐々に事業規模を縮小することでした。祖父や父世代が必死になって働いた場を少しずつ減らしていくような仕事でした。淡々と店舗や事務所を片づけながら、お客さまとの生々しいやりとりの跡が見つかる度に、ぎゅっと胸がしめつけられました。

厳しい市場のなかで、どうやって会社を経営すればいいか。見通しのない私は、ヒントを「外」に探しにいく時間が続きました。経営に関する本をあさり、勉強会など手当たり次第に参加しました。しかし、学べば学ぶほど、他社や成功事例で掲げられた理想と自社ができていることとのギャップに、焦りがつのる日々でした。

そんな中ではありましたが、2016年9月には、同じくサラリーマンを経験後、日東タオルに入社した弟とともに、新しくタオル企画会社「モラルテックス」を起業しました。これも、タオル卸売業だけでは未来像が描けないという行き詰まりからの、苦肉の策でした。自分だけでは打開困難な状況を悟り、右腕になって欲しいとの願いをこめて弟を巻き込んだのでした。

商品づくりの期間を経て、2017年12月には、東京発タオルブランド「オッキデ」をリリースできました。カフェを併設したタオルショップ「モラルテックス・ラボ」もオープンしました。

私と弟が共通していたのは「タオルはコミュニケーションツールだ」という想いでした。日用品として、また贈答品として、生活の中で利用されることの多いタオルは、私たち自身に多くのつながりをもたらしてくれていました。今、モラルテックスでの様々な活動を通じて、私たちのこの想いは、さらに確信に変わりつつあります。

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少しですが良い兆しが見えてきた2020年春、世界をコロナ禍が襲いました。私は、日に日に消える人影と減り続ける売上、そして家族や社員の感染の可能性におびえ、ただ立ちすくんでいました。その苦悩の日々のなかで、私が考えていたのは、たったひとつでした。

「今の危機に直面して、祖父だったら、どう行動するだろうか?」

一度も一緒に働いたことのない祖父。幼い自分には、普通の優しいおじいちゃんだった祖父。その祖父は、戦後の創業期、起業家として、今では想像もできないほどの激動の時代をくぐり抜けてきた人です。祖父がどうやって経営していたのか、そのヒントが欲しい。そう思って、すがるように、毎朝、祖父の仏壇に座り、手をあわせました。

もちろん、何も教えてくれません。数週間悩み続けていたと思います。ある日、目の前の祖父の遺影をみると、写真立てのガラス面に祖父によく似た自分の顔が写っていました。未来への恐れに押し潰され、また過去の対策不足を後悔し続ける、不安そうな私がいました。当時の私は、過去と未来を行き来してばかりで「今」には向きあえていませんでした。

「目の前の今を生きなさい」

ふと、そう言われた気がしました。すると、不思議とみえる景色が変わっていきました。まだ祖父が残してくれた店も、お客さまも、頼れる社員もいる。お世話になった方、そして家族が支えてくれている。新しい挑戦だって道半ばだ。「まだやれることはある。答えなんかない。失敗を恐れるな。もがけ、もがけ」そんな風に背中を押されました。

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これを公開した3月25日は私の41歳の誕生日です。これから精一杯、もがきます。

祖父が憧れた日本橋という土地には、江戸から続く商売人の歴史が詰まっています。「義理と人情と粋」の文化が息づいています。日本橋で生まれ育った自分には、それを伝える使命があります。コロナ禍により、都市部よりも地方の魅力が高らかに謳われていますが、東京にも独自の伝統と文化が存在し、それは継承していく価値のあるものだと、私は思います。

今、吉田松陰終焉の地、日本橋大伝馬町でこの記事を書いています。先達の力も借りて、これから「タオル」という商品を提案することを通じ、東京・日本橋の文化を、未来の世代に伝えていく活動をはじめます。

とはいえ、私は、力を入れすぎると息切れするタイプの弱い人間です。中学時代の恩師からは「いい加減を大事にしなさい」とよく言われました。いい加減を大事にしながら精一杯もがく。難しい宿題ですが、取り組んだ先に見える景色をみてみたい気がしています。

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大変お待たせしましたが、いよいよ本題です。私たちは、洞爺湖サミットの国賓贈答品に選ばれた老舗工房で、日本橋に直営店をもつ「江戸切子の店華硝」3代目の熊倉さんとご縁を頂きました。2018年から3年間もの開発期間を経て、この度、華硝オリジナル紋様「米つなぎ」をモチーフにした「米つなぎ紋様タオル」が完成しました。

熊倉さんと歩む速さをあわせ、ゆっくりと時間をかけながら、納得できる完成度の商品ができました。しかし、コロナ禍で知って頂くチャンスは激減しました。そこで、私たちの活動のスタートとして、この「米つなぎ紋様タオル」を、クラウドファンディングを活用して先行発売することにしました。

下記のリンクより、支援募集のページに飛んで頂きますと、商品のご紹介・熊倉さんのインタビュー動画・私たちの紹介など、今回のプロジェクトの詳しい内容を見ることができます。ぜひご覧ください。


▼『東京の粋を感じる』日本橋のタオルブランドと老舗江戸切子工房のコラボバスタオル https://camp-fire.jp/projects/view/401891

切子表紙_20210316


なお、募集開始日時は、2021年3月25日13時51分からです(初挑戦なので、ゲンを担いで、私が産まれた時間に設定しました)

起業家の祖父の足元にも及ばない3代目の私ですが、今回をきっかけとして、精一杯「もがきたい」と思っています。どんなことでも結構ですので、ご意見・ご要望を教えてください。例えば、こんなサイズやカラーが欲しいよとか、こんなことはできないのとか、いいねとか、超いいねとか、ぶっちゃけると、なんでも大丈夫です。

こうみえて、友人の少ない小心者の私には「無視」が一番こたえます。どうか、温かく厳しく見守る気持ちで、気軽にコメント・メッセージをお待ちしております。少々欲張りですが、この投稿がコメントでいっぱいになったら、たぶん弟と二人で泣いて喜びます。

改めまして、「米つなぎ紋様タオル」のクラウドファンディングへのご支援のほど、よろしくお願い致します。

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