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国籍を越えた友人との再会。~過去、現在、未来~

私には、唯一海外の友人がいる。

その名は、「アルン」

インド出身の25歳の若者だ。今年、日本の大学院を卒業する。

前職(組織・人材コンサルタント職)時代に出会った、唯一無二の海外の友人である。

実は、結構精神的に参っていた時に、当時抱えてた私の不満や不遇を傍で話を聞いてくれ、励ましてくれたのは、「アルン」だ。

当時、アルンは今よりも若く、私よりも一回り以上歳の差はあるんだけど。(ダジャレじゃないよ)

なぜか、私を励ましてくれ、いつも前向きな言葉を私に掛けてくれた。

その後、結果として私は先にその会社に見切りをつけて、今の会社に入社した。アルンよりも先に、不本意ながら職場を去った。

ふと、先日たまたま私が酔った勢いでアルンにLINEをした。(それは、なぜかは分からない)

私のことをしっかり覚えていてくれて、久しぶりにいろんな話を、1年ちょっとぶりに電話で話をした。

そんなアルンが、今春大学院を卒業し、某商社(日本企業)に内定をもらうことができ、そして修士論文も終えたとのことで、わざわざ私の最寄り駅まで、報告がてら遊びに来てくれた。

緊急事態宣言が明けたとはいえ、お店は20時とか、21時までの営業となっていて、正味30分ちょっとしか、話はできなかったんだけど…

アルンはあの時と、変わっていなかった。

アルンは私の近況について興味深く聞いてくれ、

 「カッツさん※、幸せでよかったね!!」

 ※カッツさん=私の愛称

と、しきりに何度も何度も言ってくれていた。

今書き綴っていて、情景を思い出し、少し涙が出そうになる。

寄り添ってくれるアルンは、私があの時の参っていたあの時とき、そのままだった。

拙い日本語はさほど変わらない。
けど、私が元気でいることが何よりアルンは嬉しそうに感じた。

正直、特別大した話はしていないと思う。
けど、言葉はなくても何かお互いが再会を噛みしめている。

いや、大した話でなくていいんだ。

お互いが元気でこうやって生きていて、再会できることに価値があるんだ。(ダジャレじゃないよ)

きっと、いつかまたどこかで彼と会うだろう。

もしかしたら、もう会わないかもしれない。

もし、また再会したとしてもまた大した話はしないだろう。けどそれでいい。

思いやりは言語だけではない。
心で会話できるものなんだと思う。

国籍なぞ、語彙なぞ、発音なぞ、関係ないのかもしれない。

そんなアルンに私は一つ、聞いてみた。

「ねえ、アルンから見た日本人ってどう見える??」

と。

日本人は誰もがみんなストレスを抱えすぎている。
悩まなくてもいい悩みを抱えていたり、いつも周りの目を気にしすぎたり。
おまけに働きすぎなんだ。
それでは、子どもは増えないし、精神的に困る人が増える

至極まっとうな意見だし、その発言自体不思議ではない。

けど、外国から見た日本って…

そして、ストレスを抱え生きている日本の現状って…

インドの人からの意見であることに、改めて発言の意味を考えさせられた。

「生きる」「働く」「幸せ」っていったい…

そして、不思議と外国(外の世界)についてもっと知りたくなった。

少し、視野が狭くなっていたことに気づきを与えてくれていたアルン。

最後にアルンはこう、私に言ってくれた。

カッツさん、(前職の会社の事は)もう関係なくて、(友達として)これからも仲良くしていこう。

たとえ不遇の時期があっても、健康さえあれば、生きてさえいれば未来は創っていける。通じ合える仲間もいる。

無理をすることだけが人生ではない。

アルン、新天地で健康で頑張れ。
俺もほどほどに、無理せず頑張る。

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