”フレーミング”と日本野球
私の記憶が正しければ、5年ほど前にNHKの『球辞苑』で取り扱われて注目を集め、2021年に現楽天の田中将大投手がニューヨーク・ヤンキースから復帰した際に再び話題となった「フレーミング」が、またまた日本で脚光を浴びているとの情報を耳にしました。いろいろ調べてみましたので審判目線で解説させていただきます。
概要
定義
MLBの公式サイトによれば、フレーミングとは、
続いてその数字がいかに重要か、例を挙げて記しています。
フレーミングの数値をはじき出すのには原則的に”シャドーゾーン”と呼ばれる、↓の図にあるオレンジ色の部分、つまりストライクゾーンの内と外のそれぞれボール1個分を使います。
この”シャドーゾーン”を8等分し、各スポット(Zone breakdowns)でどれだけストライクが取れているかを出した数字(Strike Rate、ストライク率)、またより多くストライクをとったことでそれを得点換算する数字(Runs from Extra StrikesまたはCatcher Framing Runs、1ストライクあたり.125で計算)が出され、これを捕手を評価する基準として用います。
算出は想像以上に複雑、というのもだれが球審なのかやカウント、投手や球種、球場などあらゆる”変数”によって補正がなされるため、ちゃんと理解しようとすると頭から煙が出ます。興味のある方はぜひ(↓)。
指標としての価値
スタットキャストによる全選手の詳しい成績を公開しているBaseball Savant(↓)を見てみると、昨年一番この数字がよかった捕手と悪かった捕手を比べるとその差は33(最高16、最低17)になります。簡単に言えば、ストライクをより多く”獲得”することで得た点の数が33点も違うのです。↑の記事によれば、
すなわち、これまでは捕手を数字で評価するのが難しかったのですが、このフレーミング指標の登場によって「より良い捕手とは」を可視化・差別化できるようになったのです。
↓の記事では、その指標によって、今まで打撃以外ではなかなか他の選手と差をつけることができなかった、捕手の待遇改善にも一役買う可能性を指摘しています。
一方で、逆にその市場価値を落としてしまう選手もいたとのこと(↓)。
変遷
新しいテクニックではない
たった今ご紹介した↑の記事にも書いてありますが、聞こえこそ新しい「フレーミング」は、実は昔から日本にあった技術なのです。映像で紹介されている古田敦也氏と谷繁元信氏は皆さんご存知のとおり、90年代から活躍されてきた名捕手です。
「×価値が増した ◯一般化した」
前述の記事の中で紹介されているBaseball Prospectusによる研究が発表されたのはなんと2011年。「Framing」は瞬く間に市民権を得て、アメリカの野球界隈では一躍いわゆる”バズワード”になります。よく考えれば、冒頭に上げてある現セントルイス・カージナルスのマイコラス投手と巨人・小林選手の出来事は2016年のことでしたから、それ以前からアメリカでもフレーミングが定着していたことがうかがえます。
新しくてより良い技術が登場したらすぐさま取り入れマニュアル化する文化のあるアメリカでは、各球団が「キャッチング・コーディネーター」というキャッチャーの専門家を雇い、底辺のマイナーリーガーからトップチームのレギュラーまで、すべての選手に教育を施しました。すると、それまではフレーミングという特殊な技術で秀でていた選手が、普通の選手になってしまったのです。
↓の記事では、打撃や走塁と違い、コーチングすることでほぼすべての捕手が一定のレベルまで習得できる技術なので、確実に底上げができることを、各球団がこぞってフレーミングに取り組んだ理由としています。
ちょうど一昔前までのインターネットや携帯電話と同じで、一度普及してみんなが持つ当たり前のものとなってしまえば、その技術を持っている価値というのは下がってしまいます。
なので、概念としては10年以上歴史のあるフレーミングですが、近年日本にも波が押し寄せてきているのは、「価値が増した」からではなく、「一般化したから」というのが正しいでしょう。
なぜ今日本で話題になるのか?
どうやら”フレーミング’再’再燃”の一端は、福岡ソフトバンクホークスがメジャーリーグのように、フレーミング技術専門のキャッチング・コーディネーターを採用したことにあるようです。
ここで少し疑問に思ったのは、前述のように我が日本のプロ野球には以前からキャッチング技術が卓越した一流の捕手が、このフレーミングの概念が世の中に浸透するだいぶ前から存在していたのに、なぜそれをわざわざメジャーリーグで主流となっているスタイルとして”輸入”しなければならないのか、という点です。
フレーミングを”輸入”する理由
① ”日本式”フレーミングは敷居が高い説
先述のように、アメリカではその”再現性の高さ”を理由に徹底した指導で、現在フレーミングは捕手として身に着ける当たり前の技術になっています。一方で、日本ではかつて名を馳せた名捕手たちのキャッチングスタイルがフレーミングのように一つの汎用される技術として定着してきませんでした。もしかしたらこの”日本式”フレーミングは、今流行りのフレーミングとは似て非なるもので、再現性が低い技術なのかもしれません。
ただ近年のソーシャルメディア(SNS)の普及により、言葉だけでなく直接教わらなくても映像で確認できるため、”日本式”フレーミングは多くのプロ選手が取り入れるようになったということを、元横浜・中日でプレーした名捕手の一人、谷繁元信氏は2年前に↓の記事で明かしています。
② データ野球の影響説
昨年広島カープが本拠地マツダスタジアムにホークアイを導入したことで、現在ではNPB全12球団がデータ解析システムを取り入れたことになりました。
これにより、実質日本のプロ野球でも、試合中に起こる一挙手一投足のすべてが記録・数値化されるようになりました。こちらの記事では、キャッチング・コーディネーターの緑川大陸氏が「アナリストからのデータとして、ストライクとされているゾーンがボールとコールされている数値」をチームや審判団へフレーミング導入の意図をプレゼンする際に用いたこと挙げています。
より多くの種類のデータが増えたことで、チームは少しでも勝つ確率を上げるために分析をします。そのデータの中で、球審によるストライク・ボールの投球判定が大きな割合を占めているのは想像に難くありません。
③ 単なる流行り説
先日、MLBがブロッキングベースを採用した際に、初の「逆輸入」と話題になりましたが、日本野球はアメリカ野球を後追いするのが一般的です。そのため、アメリカで話題になっている技術・風潮を日本にも、と言う動きが出ることは不自然なことではありませんし、それがデータで裏付けが取れているものであればなおさらです。
米国式フレーミング導入の必要性
これらのことを踏まえた上で問います。日本にも昔からフレーミングという概念があるにもかかわらず、米国式のフレーミングを日本に導入する必要は本当にあるのでしょうか。
審判を騙すこと”も”フレーミングの一部
先にご紹介した記事でキャッチング・コーディネーターの緑川氏が審判団に説明する際にフレーミングを
とし、決して審判を騙す意図はないこと強調しています。ただ事実として、審判という中立者の目線から見るフレーミングに完全な正義は存在しません。
みなさん、なぜいわゆる”誤審”が存在するか考えたことはあるでしょうか?
それは、誤りだとわかっている(得した)側のチームが誤りだと指摘しないからなんです。
ただ勘違いしていただきたくないのは、私はそれがいけないことだと言っている訳では決してなく、そういう性質のスポーツなのです。
野球が日本に輸入された際、「野球害毒論」という、野球に対するネガティブ・キャンペーンが行われました。新しいものを取り入れる抵抗からか屁理屈みたいな理由もたくさんありますが、理由として挙げられた一つに野球が、
という考え方がありました。結果的に、この主張をした『武士道』の著者でも知られる新渡戸稲造氏を納得させる理由かどうかはわかりませんが、野球にも柔道や剣道などに見られるような武士道の精神を取り入れる形で折り合いがつきました。試合前後に礼をするのがその一例であることはみなさんご存知かと思います。
ゴルフのように正直であることが前提である”紳士のスポーツ”と違い、野球では騙すことがいわば競技の一部であり、だからこそ”第三者”の審判がいるのです。
11年のプロ経験の中で、自身を含め審判という立場の人間が裏切られたり、チームの利益のために犠牲にされたりする姿は何度も見てきました。
SNSが発達した現代、騙されて下した判定を晒されるのは現場でグラウンドに立つ審判員たちであることを忘れてはいけません。
年々エスカレートするフレーミングテクニック
アメリカではこのフレーミングが浸透して久しいですが、そのフレーミングテクニックにも年々変化が現れています。
そしてこちらが昨年キャッチャー・フレーミング・ランズがそれぞれ2位、3位、6位だった捕手のフレーミングをまとめた映像になります。
※タイトルはトップ3となっていますが、実際のデータは異なっています。
いかがでしょうか?
低めを引き上げる動作は以前から見られはしましたが、2018-19年のフレーミングは”日本式”に近かったのに比べ、昨年はミットを動かす幅が明らかに大きくなり、どこにきてもミットが最終的に真ん中に来るようなキャッチングになっているのがお分かりいただけたと思います。
日本には昔から「ミットずらし」という言葉があり、フレーミングを取り扱った文脈でもよく
「フレーミング」≠ 「ミットずらし」
などと表現されたりしますが、現時点での「フレーミング」は、どちらかというと「ミットずらし」と呼んで然るべきではないかと私は考えます。
先日X(エックス)で挙げた映像(↓)です。
極端なフレーミングを意識しすぎるあまり、このようなパスボールが頻繁に起こるようになりました。
MLB審判とフレーミング
もちろんミットを止めてくれた方が判定はしやすいですが、選手の技術的なことに関して、基本的には干渉しないスタイルです。
NPBでは、二軍の試合時は早くから球場に出て、ブルペンに入って投球判定の練習をする、というような話を聞きますが、マイナーリーグではそう言ったことはなく、チームと審判はわりとドライな関係性を保っています。そのかわり、変なキャッチング(butcher=精肉屋、肉を叩くような荒い動きが由来)をしたらストライクの判定はしませんし、たとえストライクゾーンを通っていても捕手は文句を言わず、逆に「今のは自分が悪かった」と非を認めるのが普通です(”ロボット審判”の登場によって流れは変わりつつありますが)。
フレーミングをしたところでストライクゾーン通りきっちりやるものですが、それでも影響を受けていることは↑で挙げたUmpire Auditorの”誤審集”の映像を見ていただければわかると思います。
ただこちらの記事でもご紹介しましたが、MLBの審判員には球審の試合は毎試合、試合後に投球判定のデータが配られます。それをもとに全体で画一的なストライクゾーンを作っていける仕組みがあるので、後から見返してフレーミングに影響を受けた場合も具体的に修正ができるのです。
いくらフレーミングでよく見せた投球をボールにして文句を言われようが、退場を出そうが、データに基づいた感覚を頼りに自分が信念を持った判定を下し、それが正しければ堂々とそのデータを見せることで”潔白”を証明することができます。また、たとえストライクゾーンを通った投球をボールにした場合も、捕手のキャッチングが悪ければ「Catcher's Influence(捕手による影響)」として、”正しい判定”とカウントされる仕組みもあります。
日本にはまだそのようなシステムが整っていないと聞きます。私がマイナーリーグで過ごした11年間もそうでしたが、チームはデータを持っていてもライセンスの関係でそれを開示してもらうことができず、チームは私のパフォーマンスを知っているのに、張本人である私がそれを知らずにまた次の球審に挑む。まるで毎回テストを受けるのに、だいたいの結果は知らされても、具体的な点数も間違った問題の解説も受けないまま、また次のテストを受けさせられているかのようでした。
結論
ストライクをボールにしてしまうキャッチングを修正するための試みであれば審判側にもメリットがありますが、それを通り越して、ここ数年メジャーリーグで起きているような、ボールをストライクにするためのフレーミングを追求する合戦が始まってしまうと、結局矢面に立たされるのは審判員です。NPBはMLBと違い、一年契約の年俸制。その技術を保証するデータがあるわけでもありません。
プロで実践されることは必ずアマチュアにも影響を与えます。くれぐれも現場に出る審判員たちを戸惑わせる結果にならないよう、祈るばかりです。
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