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だいたい言葉が足りていない、あるいは多すぎる、もしくは・・・という話。part2

こんにちは、タカキです。言葉について書いているシリーズのpart2。

知識、知能、語彙のグラデーションの中で、僕たちは生きています。

この考えが正しいのなら、

#コテンラジオ がコミュニティ化したのは、共通言語を持つ人たち、もしくは、その言語に憧れる人たちがお互いにつながりを求めたからだと言えるような気がします。

共通言語は、コミュニティが形成される重要な要素の一つです。

ここで言う共通言語とは「知識、知能、語彙のグラデーションの中で同じ層、もしくは近い層にいる人たち」という意味です。

このことを考えると、コテンラジオは、深井さんとヤンヤンさんの層を、樋口さんのとてつもなく広い層が覆っているからこそ、こんなにも多くのリスナーを獲得したのだろうと推察できます。

知識、知能、語彙のグラデーションの中で、僕たちは生きています。

このことは、俗に言う頭がいい人と悪い人の分断の話ではありません。この俗に言う「頭がいい」とか「悪い」とかの概念が、俗に言う分断そのものである気がします。

話を戻します。知識、知能、語彙のグラデーションの中で、僕たちは生きています。

しかし、このグラデーションを意識しないことには、分断が起きてしまうと僕は思っています。

その点でアートの世界はおもしろいです。

アートは言葉、概念、思想、感情、社会問題、個人的な問題など、目には見えないものを作品にすることで、五感で感じ取れるようにする役割があります。

上記の記事において、僕はこう考えました。

Z世代のアーティストである新川玄規さんと長澤花咲さんは、コミュニケーションに問題意識をもっているのではないか、と。

しかし、その仮説は、作品を見て、作家と話して、僕自身が考えた仮説に過ぎず、正解か、不正解かもわかりません。

ちなみに、このお二人のアーティストから上記記事について「そういう見方ができることは新しい発見でした」と感想を頂きました。

つまり、お二人は「コミュニケーションの問題意識を表現したい」と思って作品を制作しているわけではないのです。

アートは言葉より抽象度が高い表現物です。抽象度を解説するために調べていたら、とてもわかりやすい記事があったのでシェアさせていただきます。

要は、お二人の作品は「コミュニケーションへの問題意識」という具体的な問題よりも上の層にあるということです。

おそらく上の層には「コミュニケーション」や「人とのつながり」、「人間とは?」のような、より抽象的な【問い】みたいなものがあるのだろうと思います。

つまり、解釈できる幅が広いということです。

五感で感じ取れるようにすることで、抽象度を上げているからこそ、解釈の幅が広がります。

このことは、知識、知能、語彙のグラデーションにおいても、幅広くカバーしていると言えると僕は思っています。

例えば、新川玄規さんが制作した男性器を描いたダルマの作品はについて、「卑猥」だと感じても、「斬新」だと感じても、「色が可愛い」と感じても、「ダルマは男の性の象徴」だと感じても、間違いではないと思うのです。

また、長澤花咲さんのティッシュの作品について「なんかウケる」とか「ジワる」とか「おもしろい」という感想だけでも間違いではないし「ティッシュの中で自分の性質の詳細を書くほど自己主張したいという強い欲求を持っている」と解釈しても問題ないと思います。

こんなことを考え出すと、アートって本当におもしろいなと思うにいたるのです。

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