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「君たちはどう生きるか」改め「宮崎駿のゴチャゴチャうるせえよ!」を2回目観た感想【ネタバレあり」

「君たちはどう生きるか」を2回鑑賞した。
この作品は、「作ること」に魂をささげた人たちに向けて送られたエール、僕にとってはどうしてもそういう風に観ることになった。何度でも見返したい。

僕が注目したのは「鳥たち」のことで、彼らはとても愛らしく、かつ恐ろしい存在として描かれている。このあり方こそ「モノを作る人々」から観たアンビバレンツな「観客」の見え方に他ならない。作り手たちのものをいつも観に来てくれるありがたい優しい人々でありながら、作品を食い物にし、話のネタにし、貶し、価値づけし評価して噂話をして回る恐ろしい存在でもある。こんなものを映画で見せて「お前たちはインコだ」と言ってしまうのだからこの老人はなんという捻くれ者だろう。最高である。

ただ、全て自分の責任で美しいと思う物語やモノを本気で作る人々にとってはこれが観客へのまなざしなのだ。とてもありがたく愛しいと同時に、とんでも無く恐ろしい存在。いてもらわなくては困るが逃げたくなる存在。インコの王様が「悪意のない積み木」を適当に積んで台無しにしてしまうシーンは宮崎監督の「黙って見とけ」という超偏屈で、かつ魂を削って作品を作るクリエイター全員が大笑いして大きく頷くような超間抜けな皮肉のシーンに見えた。拍手喝采である。晩年の作家でなければこんな皮肉は言えない。

鳥たちには羽があり手はない。作り手である人間にはみな手がある。魚をバラしたり、燃やしたり、積み木を積んだりする。たかが積み木、されど積み木。鳥たちにとっては「そんな簡単なこと誰でもできらあ」と見えるのだ。鳥たちは飛び回りフンを撒き散らし噂を伝える。その中でサギだけは鳥でありながらも人間の顔をもつ。鳥たちのフリをして嘘をつくことができる唯一の「友だち」はプロデュースや広報の重要性を物語る。手を持つ人間でありながら殺すことも捌くこともできない黒い影たちについても語られているがここでは深く追求するのはやめておこう。(電…

崩壊する塔からわれ先にと逃げ出すインコたちは、意味不明な映画を観させられたあとに急いで映画館を出てすぐにでも感想をツイートしようと必死になる我々観客たちなのだ。顔がフン(感想)まみれになっても人間たちは、ニコニコと笑顔で、してやったりの顔で家に帰っていく。なんて爽快なシーンなんだろう。

何を言われたっていい!ただ悪意のない石の積み木を探して、積んでいけばいい。悪意のない積み木(僕はこれを社会的エゴのないピュアな制作のアイデアだと理解した)を見つけることの困難さに比べたら、愛すべき鳥たちのフンは祝福以外の何者でもない。僕にとっては老齢の伝説的先輩によるモノづくりに魂を捧げる人への讃歌であり、挑戦状であり、社会全体への最高の皮肉でありながら、最終的に観客への愛にも満ちている。この人の映画を観れて良かった。

明日から僕もまた積み木を積み続けたい。

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