パフォーマンステストを通じて失ってしまったもの

この記事で述べられている意見は一個人の考えと反省であり、所属する学校・科の総意ではありません。
徒然なるままに自分語りをさせていただきますが、同じような悩みを抱えている先生や、似たような境遇の先生にとって一助になれば幸いです。

①今年度のパフォーマンステスト

 新しい教育課程が始まり、私が勤務する高校でも英語コミュニケーションⅠにおいて以下のようなパフォーマンステストを実施済み、または実施する予定となっています。

表1:今年度のパフォーマンステスト

 テストの実施や、それに向けた指導は決して順風満帆ではありませんでした。
 特に指導と評価の一体化については年間を通じてずっと苦労しています。単元を通じての指導を行うには、早い段階で目標やテスト形式、評価を教員間で共有する必要がありましたが、多忙な中で1、2ヶ月先を見据えた計画づくりは簡単ではありません。また、「パフォーマンステストに向けて単元を通じて指導を行う」という考えが浸透しておらず、「教科書内容理解の後に投げ込みで行う活動」という感じが拭いきれませんでした。
 また、評価の妥当性の担保、授業時間の確保などの課題にも対応する必要がありました。その結果、生徒の答えがある程度想定されるために評価しやすく、普段の授業がパフォーマンステストに直結しやすい音読テストやインタビュー(実質Retelling)、授業時数を削らなくて済むWritingテストを実施しました。

②パフォーマンステストを通じて失ったもの

 さまざまな課題が立ち塞がる中、教員同士で協力しながらなんとか2学期まで乗り切ってきました。年度当初はどうなるか不安でしたが、徐々に先生方の理解も深まり、軌道に乗って来たように感じています。その一方で、今、自分の中で大きなモヤモヤがあります。それは、生徒が授業や英語学習にポジティブな感情を抱いていると確信が持てないことです。そして、最近、研究会への参加や、Twitterで先生方とやり取りをする中で、パフォーマンステストについて見つめ直す機会があり、一つの原因が浮かび上がってきました。

生徒が自己表現し、それを他者から承認される経験が圧倒的に不足しているのです。

 音読テストや安直なRetellingは生徒のオリジナリティを引き出せません。今年度で言えば、「大切なものの説明」のwritingはオリジナリティが生まれそうですが、ペーパーテスト内で書くという設定のため、語彙は制限されます。また、全てのテストが教員と1対1や、ペーパーベースで行われるため、生徒同士でお互いの作品を見ることはほぼ皆無です。得られる「承認」は、教員からの短いフィードバックと無機質な数値です。

 テストという意味ではそれでいいかもしれません。しかし、英語教育に求められることは、テストを行なって妥当に数値化して評価することだけでしょうか。言語を取り扱う教科として、生徒が自己表現し、それを他者に伝え、お互いのことを知り、認め合い、引いては人間関係や人格の構築に寄与することができる教科なのではないでしょうか。自分の好きなものや経験を伝え合えばお互いのことが知れる。同じ趣味の友人が見つかるかもしれない。辞書や翻訳アプリを使いながら、必死で作った文章に友人からの拍手がもらえる、「すげぇ」という呟きが聞こえてくる。そんな経験がクラスの雰囲気をよくするかもしれない。勉強のモチベーションになるかもしれない。

③思い返せば…

 新課程が始まる以前、私は各単元末に言語活動を設定して授業を行なっていました。しかし、パフォーマンステストという扱いではなかったため、他の先生と指導や活動をあまり共有しておらず、評価も厳密にはしていませんでした。(それ故に自由にできていたのかもしれませんが。)
 例えば、ピクトグラムを作り、プレゼンする活動では、絵が得意な生徒はピクトグラムの絵を描くのにとても時間をかけていた。そして、グループで発表する際に「うま!」「味がある」などの声が挙がっていた。中学校での思い出に関するスピーチをグループで発表した際の生徒の姿は今でも鮮明に覚えている。Twitterのフォロワーに英語でリプするのに1時間かかった話、スピーチなのに自ら『夢をかなえるゾウ』の本を用意し、身振りてぶりが絶えなかった生徒、クールな生徒が、サッカーで怪我したけど諦めなかったと、緊張しながら語っている姿。大切なもののプレゼンでは生徒が持ち寄った宝物を見せ合い、休み時間から話が絶えなかった。ありがたいことに、当時、コミュ英が楽しいと言ってくれた生徒がチラホラいてくれた。
 今年に入って、実は1年生の顔と名前がなかなか一致しない。最初はマスクや歳のせいだと思っていたが、もしかしたら、私自身も、そのような活動を通じて生徒のことを知る機会が減ったからなのかもしれない。
 また、大学の授業で、ある授業実践を拝見したことがあるが、その授業では生徒が他の生徒の発表を聞いて涙ぐんだり、休み時間になったら発表の内容を深く聞くために友人に話しかけたりしていた。「英語だからこそ、日本語では言いにくいことも言えてしまう。」という言葉は今でも覚えている。

④これから…

 このような活動の機会が減ったのは、決して新課程やパフォーマンステストの開始が原因ではありません。私自身が、評価することを目的化しすぎていたことが原因です。言語活動や授業は、生徒を成長させるためのものであって、評価のためのものではないはずです。また、いつの間にか、自分の興味は生徒ではなく”より良い教え方”に向いていたのかもしれません。生徒にとって良いパフォーマンステストではなく、先生方にとって”良い”テストづくりを意識しすぎたのかもしれません。
 
とはいえ、自由度の高い活動をパフォーマンステストとして導入するには課題もあります。グループで生徒同士が発表すると、全員を評価するのが難しくなります。録画して評価は授業外での業務が増え、グループ発表後、個別に発表となると授業時間が削られてしまう…。自由度の高い活動は「お楽しみ活動」「+αの活動」であり、負担感を感じる先生もいらっしゃるでしょう。均一な指導も難しいかもしれません。
 まだまだ、具体的な解決策は見えていませんが、モヤモヤが少し晴れてスッキリしています。英語教育の価値・妥当な評価・教員間の連携・生徒の英語力向上などの複雑な要素の折り合いをつけながら、今後ともより良い授業、パフォーマンステスト作りに努めたいと思います。


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