爽やかさの裏の死と官能。スピッツ・草野マサムネの歌詞は文学を超えるか
90年代の音楽シーンでブレイクし、以来ずっと人気を誇っているスピッツ。
その印象は爽やかで切ないラブソング?
いやいやそんな軽いもんじゃない。
私は楽曲も大好きですが、爽やかさを装った毒のある歌詞にゾッコンです。
切ない欲望丸だしの官能世界に痺れます。
まさに草野マサムネワールドですね。
▲公式チャンネルspitzclipsより「スピッツ/美しい鰭」
2023年劇場版『名探偵コナン 黒鉄の魚影』
主題歌として大ヒット
スピッツの歌詞世界は、奇妙・深遠・暗い・怖い・溶けそう・官能。
即ち「死」と「性」の世界です。
作詞を担う草野マサムネ氏自身が公言しているのだから間違いない。
言い換えれば、欲望と抗えない運命、あるいは未知の世界への希望かな。
でも曲はポップでかつてのUKロックっぽくもあり、キラキラのギターリフなんか明るくて可愛くて、毒を感じる要素はなかなかない。
そんな明るさと暗さ、希望と不安みたいな対極にあるものをひとつに詰め込むのもスピッツ流儀ではありますね。
▲公式チャンネルspitzclipsより
「スピッツ/空も飛べるはず」
陰鬱な表現も瑞々しいキラキラ感
今回は、音楽のことにはいっさい触れません。
この記事では「死」と「性」の歌詞世界と、ことばの深さを探ってみたいと思います。
★ 『ロビンソン』♪ 死して夢叶うラブソング
▲公式チャンネルspitzclipsより「スピッツ/ロビンソン」
まずは誰もが知っている、95年に大ブレイクした『ロビンソン』を見てみましょう。
楽曲の素晴らしさは置いといて、この歌詞、丹念に見ていくと死んだ彼女を後追い自殺する歌に思えてきます。
マサムネ氏は、曲の解説は「受け手の自由」と言っていっさいされない。だから正解なんてありません。
というわけで私が感じたまま、全歌詞を3つのブロックに分けて紐解きたいと思います。
✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼
【●1. 君を失った僕の喪失感】
歌詞は「新しい季節は なぜかせつない日々で」から始まります。
しょっぱなからどこか寂しい。
「自転車で走る君を追いかけた」と続きますが、その後の歌詞で“僕”が追いかけているのは、もういなくなってしまった君だとわかります。
“僕”には君の思い出しか見えていない。見たくないのかもしれません。
歌詞の「ありふれた魔法」というのは、交わした会話を思い出したり口にしてみることでしょうね。それだけで“僕”は救われる。君との時間を取り戻している。“僕”の君に対する深い愛が窺えます。心が閉じているのかもしれません。
それをこんな短いフレーズで、一途な想いを表現しています。
「悲しい、愛おしい、苦しい」なんてことばはひとつも出てこないのに、見事にその感情を言い切っている。凄いです。
✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼
【●2. 君のいる世界へ旅立つ“僕”】
2番の歌詞は「片隅に捨てられて 呼吸をやめない猫も」で始まります。
“僕”はこの猫が自分に似ていると思って無理やり頬ずりします。
この「無理やり」は、「呼吸をやめない」=「惰性で生きてる状態」への寂しげな愛おしさでしょうか。
深い想いが隠されているようです。
次に続く歌詞がちょっと変なんですよ。
見上げた丸い窓というのは、おそらくビルか何かの建物。
夜に、そんな高い位置の丸窓のうす汚れなんか、見えるのかな?
ぎりぎりの三日月ってなんだろう?
そんな疑問が湧いてきます。
おそらく“僕”は命を絶った。その“僕”の魂が、上空に飛んでいく途中で見た光景のような気がします。
そう考えるとことばの辻褄が合うんですよ。
ここで初めて、“僕”の前からいなくなった君がもう死んでいることがわかります。そして“僕”もその後を追ったのだなと……。
歌詞に出てくる「丸い」ものはマサムネ氏の「死の象徴」だと指摘する声もありますが、それを知らなくても十分「死」は匂っています。
しかも三日月って願いが叶う意味合いのある、ちょっと希望を感じさせる象徴でもあります。それがもう、ぎりぎりだって言っている。
こんな表現、どうやったら思いつくんだろ。
願いの叶うぎりぎりのタイミングだったのでしょうか。
ぎりぎりの三日月とは、そんな意味と飛ぶ魂が見た情景のダブルミーニングにも受け取れます。
✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼
【●3. 君と二人だけの幸せしかない世界】
遥か上空(彼岸)で君に逢えた“僕”は、さらに誰にも触らせたくない二人だけの場所に行こうとします。そこは「待ち伏せた夢のほとり」より、ずっと遠い宇宙の果て。
“僕”の愛は強く、あるいは利己的。君を自分だけのものにしたい。希望を永遠のものにしたい。そんな熱さえ感じます。
✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼
『ロビンソン』の歌詞/3つのブロックをまとめると、
【●1.】は、君の思い出を追う閉じた“僕”の様子
【●2.】は、“僕”が死の世界へと旅立つ情景描写
【●3.】は、やっと手に入れた永遠のシアワセ
歌詞がこんな構成だと考えると、
【●1.】と【●3.】を結ぶ、【●2.】の情景描写の重要性が際立ちます。詩的で美しい浄化のイメージ……。
もちろん私個人の独断解釈です。
正解はありません。自分がどう感じ取るかがすべてです。
✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼
★『プール』♪ 蜘蛛から一気に性描写
「死」の次は「性」ですね。「性」を匂わす歌詞はワンサカなのですが、表現の秀逸さで91年発売のアルバム「名前をつけてやる」収録の曲、『プール』を推します。
歌詞は抽象的でわかりにくいですが、全体としては「プールで彼女とふざけ合った儚い夏のひととき……」みたいに感じる内容です。
切ない歌声が遠い郷愁を呼んで、自分の思い出とシンクロする夏の日の恋、みたいにも感じてしまう。
歌詞の冒頭部分を引用します。
ん? 君に会って「夏蜘蛛」になった?
ねっころがって、くるくるにからまって?
これ、二人が抱き合ってる様子ですよね。
二人の手と足を合わせて8本だから、夏蜘蛛!
そう思って抽象的な歌詞を見直すと、最初から最後まで男女の交わり描写だけの歌になってる!
歌詞はその行為の始まりから終わりまでが、夏の日の情景として隠喩化されていると思われます。
具体的な解説は大胆になりすぎるため、noteでは控えますが……。
その行為はプールでじゃれ合うような可愛さや熱情、やがて消えてしまう儚い思い出なのかもしれません。
男女の交わりとその果てが、これほど燥いだように無邪気で、切なくそれでいて楽しげに描かれた文章を私は見たことがない。
この曲の歌詞には具体的な情景、出来事、感情表現がほぼ出てきません。
ほぼ隠喩で構成された歌詞ゆえに、受け取り側(聴き手)の心境や思い出などとシンクロしやすいのも特徴です。
ですので性のイメージに繋がらない、という人も多いでしょうね。
それでも成立してしまうのが、この曲の包容力だと思います。
✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼
★歌詞掘り下げのまとめ
【●死と性を掘り起こす新しい世界】
スピッツの歌詞には死と性を想起させる隠喩が多く、詩的にまとまっている。ふっと聴き流してしまうのですが、注意してみると面白いです。
【●自由で豊かなことばの表現力】
主観イメージの詩的なことばに説明はいっさいありません。
「ぎりぎりの三日月」「待ち伏せた夢のほとり」「夏蜘蛛」など、主観だけのことばが連なります。
大胆でハッとするような表現に、すべて意味があるのも特徴です。
【●文章構成はロジカル】
表現の自由度が縦横無尽な割に、文章の構成には曖昧さがない。
ロジカルな文章構成は大きな特徴だと思っています。
歌詞の展開は、『ロビンソン』のように流れがきちんと築かれています。この流れを意識すると、ことばの裏の深い世界が見えてきます。
【最後に──】
中には極端なエロパッションに溢れた歌詞も、陰鬱なストーカーかと思わせる一途なラブソングだってあります。それらもロジックな構成の中で本音暴露の歌詞として成立しています。
「死」と「性」。
おそらく人間が無視することのできない運命と欲望をテーマに、日々抱える煩悶や後悔、淡い希望、欲望、汚れた心、救済を求める心などが包み隠さずぶつけられているのでしょう。
そんな歌詞が音楽と融合することで物語を生み出している。
私たちは、自分の心境を照らし合わせて更なる新しい世界観の物語として増幅していく─。
草野マサムネ氏を、天才なんて軽いことばでまとめちゃっていいのでしょうか。
今宵、音楽の中にただよう文学のチカラを感じながら、スピッツの曲とことばに揺られてみたいと思います。
サムネール画像はみんなのフォトギャラリーより
うえはらけいたさんのイラストを
お借りしました。
ありがとうございました。
記事中に使用した写真は以下の2点です。
UnsplashのMahdi Soheiliが撮影した写真
UnsplashのJoe Pizzioが撮影した写真