絵本探求ゼミ4期 第一回講座 ~リフレクション


1⃣ 絵本探求ゼミ第4期に復活参加

一年間の休眠を経て、何故またミッキー絵本ゼミに復活⁉
その理由と目標、事前課題の翻訳絵本の選書については一本前のNoteに記載したのでご参照下さい。
 ※記事「絵本探求ゼミ第4期へ 再びダイブ」

2⃣ 絵本探求ゼミの特徴:チームビルディングの福音

全受講生40名。それを6つのチームに分け、それぞれにFAリーダーを配し、チーム内交流と切磋琢磨を促す仕組みは、よく考えられたマネジメント。自ずと個の成長を促すシステムだ。そしてゼミ全体としてもチームごとの刺激が大きく、探求レベルや情報交換など、全体がボトムアップしていると思う。
まさにここがミッキー塾。絵本の智と運営マネジメント智の結集だと実感する。

3⃣ 絵本翻訳の世界

ミッキーこと東洋大准教授・竹内美紀先生のど真ん中のご専門分野。
『石井桃子の翻訳はなぜ子どもをひきつけるのか
「声を訳す」文体の秘密』
(竹内 美紀 著 ミネルヴァ書房2014年04月20日発行)は私たちの絵本研究バイブルのひとつだ。

第一回目のゼミでは、いきなり翻訳絵本の世界の入り口に誘われた。
題材は、もちろん、『ちいさいおうち』(岩波の子どもの本) 1954/4/15
バージニア・リー・バートン (著, イラスト), 石井 桃子 (翻訳)

1954年に日本で始めて発刊された『ちいさいおうち』は、縦書きの右綴じの右開き!
本の開きが原書と逆なので、絵を反転させて印刷したという苦肉策。反転させた絵は、当然月の満ち欠けや車の走行方向の違和を生んだ。
1965年には大型版で現在の形である横書き左開きとなったが、その時代の書籍形態を踏襲しつつ、当時の作家や編集者が試行錯誤で必死に絵本を作って来たご苦労が伝わってきた。

訳するテクストの表現も、子どもに分かり易いような工夫がいくつもなされていた。
主人公のちいさいおうちがまるで人と同じく自分を語る直接話法を用いたり、昔話風な文体を用いたり、またタイポグラフィーには一定の意味を託したデザインを施していることなど、非常に練られた本であることがわかった。タイポグラフィーについては形の違いの解釈がバーバラ・エルマンと竹内先生では解釈が違い、このようにテクストや絵を掘り下げた視点で解剖し、発見していくのはさぞワクワクするだろうなと思った。

石井桃子訳が長年にわたり熱烈な支持を受けるのは、この細部のこだわりからも推測できるように、常に聞き手であり読み手の子どもたちの等身大を捉え、見極めながら訳しているからにほかならないと感じた。

絵本づくりにしても、読み聞かせにしても、この視点が全てだと思える。

4⃣ 絵本と声の関係

就学前の子どもたちにとって絵本は、テクストも絵も見るもの、お話は耳で聞くものである。
大人にとっても、絵本を自分で読むときと他人に読んでもらうのとでは、全く別物の絵本となる。自分で黙読するとテクストだけしか見ていないことが多い。「絵本は人に読んでもらうためにある本だ」という言葉も聞いたことがある。

声の3つの側面として以下の項目に触れた。
①音読の声
②声の文化
③作品の声を聞く

①について
子どもが絵本の話を聞くにあたって、大人の耳ざわりのよい声が何より大切である。私も日々朗読指導で伝えていることと合致している。
そして、小さな人たち向けの口承である場合はなおさら、声に出して読むことの大切さをもとにした絵本づくりが必要だ石井桃子は提唱している。

耳ざわりの良い声とは
=心地いい=ずっと聞いていて疲れない=理解し易い声質と音声表現

聴覚で受け取った声というのは、電気信号に変換され、大脳新皮質に情報が届き処理されるシステムだが、そこに到達する前に、感情や潜在意識を司る旧皮質を必ず通る。その声で何を言ったか情報を解する前に、感情部分で「この声、キライ」と判断されてしまうと、脳の情報の受け取りは拒否状態になってしまう。
子どもに絵本を読む大人は、是非子どもに受け取ってもらいやすい心地い声を獲得して、絵本を読んでもらいたいと強く願っている。

②について
声には著作権がない…という話を聞いて、確かにそうだと気づいた。著作権とは何に対して付与されるものなのか、声を伴う表現活動に知的財産権はないのか…と朗読をしている人間にとっては残念な事実である。
果たして、声は個性であり、瞬間で消える音声表現であるが、文化ではないのか…⁉ 
再現性が困難だという点で、声そのものには著作権が発生しないということなのだろうか。
参考文献として教えていただいた『声の文化文字の文化』(ウォルター.J.オング著)に興味が湧いた。読んでみたい。

③について
「作品の声を聞く」という視点は私も共感する。朗読も同じだ。作品の声を聞くと自ずとその音声表現が見えてくるのだ。
提示された参考文献の『翻訳夜話』(村上春樹・柴田元幸著/文藝春秋)を早く読みたい。

5⃣ 第一回ゼミの学びをどう生かしていくか

なんとタイムリーなと思わずにはいられないのだが、ちょうど、子どもが絵本や詩、作文などを“声に出して読む”場を作れないかと思案していたところだった。寺子屋式なのか、体験提供なのか、形はわからないのだが。試案を重ねたい。

翻訳絵本は単なる直訳では済まされない、ということを初回から痛感している。まずは子どもありきのテクストであり絵であることが必要であり、作品の声、あぶりだされる作者の声にも耳をすますこと。これは朗読や読み聞かせ指導とも一致していて強く共感した。
 
この学びを自分の血肉にするには、まずは本を読む時間を確保しなければ、と切に思う。
翻訳絵本を研究するには、翻訳本も手元になければ話にならないこともわかり、これから半年間、図書館通いが増えそうだ。
がんばれ、ワタシ。アラ還の体力と諦めの悪い大人体質の維持が勝負かな。

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