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01. 胃転移の怪

1、父親の胃の腑が?

「ゲーッ! ゲッ、ゲッ!」
 1987年のことだ。
 神奈川県相模原市に住む桜井信子さんは、夕食後、じきに、猛烈な胃のむかつきと膨満感に襲われた。
「ゲーッ!」
 すぐに手洗いで嘔吐したが、悪いものを食べた覚えもない。普段は、母親が心配するほど少食の信子さんだから、食べ過ぎというのも有り得なかった。信子さんは、母親に背中をさすられながら二階の自室へのぼり、体を休めた。
 翌朝、目が覚めると、体調はすっかり良くなっていた。
 隣室から大きないびきが聞こえた。父親のいびきだ。
 昨日は会社の暑気払いで、日付が変わるまで飲んできたのよ、と母親が教えてくれた。
 じきに起きだした父親は、妙な話を信子さんに聞かせた。
 だいぶ飲み食いをし、もう入らないと思っていたところ、急に強烈な空腹に襲われた。ぽっこり膨れた腹も、すっかりたいらに戻っていた。手洗いには行ってはいないし、もちろん吐いてもいない。普段なら有り得ない食事量だけれども、やむにやまれず、若い社員を誘い、三次会に中華料理店へ行った。驚異のまなざしを尻目に、チャーハンや春巻、チャーシュー麺などをたいらげて、ふたたび満腹になり、帰ってきたというのだ。
 信子さんが、あの猛烈な吐き気に襲われたのは、ちょうど父親が急な空腹感に襲われたのと同じ時間帯であった。
 荒唐無稽な話だけれども、自分と父親の胃が、一時的に入れ替わったとしか思えなかった。だが、なぜ、なんの理由で、そんなことが起こったかは、信子さんにも、両親にもわからなかったのである。

2、イギリスでも怪異が!

 1982年、イースト・サセックス州の田舎町クロウバラに住む少女、キャロライン・カトーナにも、桜井さんの例に似た怪異がふりかかった。
 クロウバラ・ニューズが伝えるところによると、それは、街の人々も浮かれるクリスマスのことだった。
 キャロラインは、学校からの帰り道を急いでいた。早く七面鳥が食べたい。それに、ミートパイ。いえ、他にも、もっとたくさんご馳走が――
 だが、キャロラインが夕食に手をつけることはなかった。
 母親のメアリーと一緒に支度を手伝っていた彼女は、突如苦しみだし、両腕で抱えるほどの牧草を、ドッサリと吐きだしたのだ!
「キャル、どうしたの!」
「オベベベベェ!」
 粘液がべっとりついた牧草は、明らかに、家畜小屋の牛に与えているものと同じであった。これほどの量の草を、もとより食べられるはずもない。
「ガタガタ! ガタガタ!」
 家畜小屋の方角からは、給餌を催促して、牛の暴れ回る音が聴こえてきた。さっき、餌やりをしたはずだのに……。

3、伊達男だておとこの受難!

 1986年夏、マルセイユでことは起こった。
 イタリア人実業家、エンリコ・カルディナーリと、浮気相手・アンナ・イズリントン間に発生した、殺人未遂事件である。
 顛末はこうだ。
 カルディナーリに、急な商談が入った。彼はアンナを宿に残し、一番街へ向かった。
 そのため、ディナーはすっかり遅れてしまった。
 アンナはだいぶじりじりし、ようやく二人がレストランに入ったときには、すっかり機嫌を悪くしていた。輪をかけて、アンナはひどい焼き餅焼きだった。別の女性と会っていたのではないかという疑念も湧いていたのだ。実際、仕事を口実に、女性と密会していた事実もあったようだが、このときは本当に、さる国際銀行の重役と面会したことがわかっている。
 間もなく、カルディナーリは、ドボドボと大量の液体を吐き出した。
 一目見ただけで、葡萄酒であることがわかった。
 カルディナーリは狼狽し、アンナは激昂した。給仕がとがめるような目で二人を見る。だが、その日も、前の日も、葡萄酒、いや、酒という酒は飲んでいないのだ。
 アンナはわめき散らし、とっさに、近くにあったペティ・ナイフを手に握ると、ぐさりとカルディナーリの左胸に突き刺した。
 血がどくどくと流れ……分厚い筋肉の上に、ナイフはダーツの矢のように突き刺さったままだった。

4、推理編 太古の親愛感情の名残か?

 これらは、「胃転移」と呼ばれる超常現象である。
 厳密には、胃が転移しているのではなく、胃の内容物が転移しているのだ。人間に限らず、事例のように、動物と人間との間にも発生することがわかっている。
 家族とか、ごく親しい間柄の中で転移が起こることが多いけれども、カルディナーリの場合には、同じレストランにいた別の客の胃が転移したと考えられることから、一概の結論を出すことはできない。
 しかし――そもそも、なぜ胃転移が起こるのか?
 私の考えは、「子守こまもり機能の名残説」である。太古の時代、子を守りたいという親の願いが、不可視的「四次元胃瘻いろうチューブ」を産み、親の消化物を、子の胃に遠隔転移させていたと考えられる。動物との間にも起こるのは、子を思う感情に、人間も動物もないからだ。
 農耕の起こる以前の太古の時代、食糧、特に動物性タンパク質は、命懸けで得るものであった。子どもに、できるだけ多く食べさせたい。子どもにできるだけ栄養を。子が飢えないように……。そのような願いに起因して、親の消化物――の、何割かは、四次元空間に一旦貯蔵されたあと、子の胃へ転移されたのだろう。
 これは、親の愛をかたどってはいるけるども、単純に、種の保存という観点からも理にかなっており、「人類の夜明けDawn of Man」に時限的にプログラムされた、セーフティー・ネットだったのかもしれない。それが、現代においても「遺伝子記憶の夢」的に、気まぐれに再現されるのではあるまいか。


(筆・杉山あきら)
 
 

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