『サムソンという街にて(ベトナム)②』  1997.5.27

『サムソンという街にて(ベトナム)②』  1997.5.27 

 ポリスチェックにより宿を負い出せれ、少し寂しい気持ちで僕はザックを背負いながら新しいホテルへ向かいました。しかしその寂しさもすぐに新たなる賑やかさに吹き飛ばされてしまいました。移ったホテルではたくさんの人に迎えられました。

 そのホテルもかなり暇なのでしょうか。フロントにはやはり従業員が5~6人揃っていました。案の定、僕が入って言った途端、一斉に好奇心の目が僕に向けられ、そして大騒ぎとなりました。

 パスポートを出しチェックインの手続きをしている間、みんなで僕のことを凝視しています。もう僕は他人の視線には慣れっこなっているため、その際は僕はニコニコしながらも一人一人に挨拶をするように微笑みかけました。

 この作業は異国の地ではかなり重要なことであり、お互いに笑みを交わし合うことにより一気に親しくなれるのです。この新しいホテルは若い女の子の従業員が多くしかもかなりの美人揃いです。

 ドラマのホテルで日本人旅行者と出会い話をすると、よく“ベトナム女性は美人が多い”などと言っているのですが、その中でもこのホテルには綺麗な人が随分集まっていました。

 チェックインの手続きが終わると一人の女の子がベトナム語で話しかけてきました。当然僕には何を言っているのか理解できません。このホテルにはサムソンという田舎街にはしては珍しく、綺麗な英語を話す人がいたのでその人に、「彼女何て言ってるの?」と目で問いかけてみました。

 するとその人はこう答えました。「she said you were handsome.」(あなたってハンサムね)。「Oh,Thank you」(おー、ありがとう!) この一言で僕は単純にも上機嫌になってしまいました。“さっきの家でも家庭的で良かったけど、こっちには綺麗な子が多いし結果的に良かったかな” などと思い始めてしまいました。

 男は単純なものです。たとえそれが、客商売の人のリップサービスと薄々感じていても、ハンサムなどと言われればやはり嬉しいのです。しかしベトナムではどういうわけかこの時以前にも、そしてこのとき以降も何度となく、「You are handsom」と言われました。タイやラオスではましてや日本ではめったにそんな言葉を言われたことがなかったのに、僕はひょっとしてベトナムで生まれてきたら楽しい日々を入れていたのかもしれません(笑)。

 次の日は快晴でした。この日は当初より一日中ビーチでのんびりすると決めていたので、午前中から早速水着に着替えビーチへと出かけました。このビーチでは海の家でジュース(130円)を買うと海辺に横たわってるデッキチェアを一日中借りることができます。

 僕は早速、日光浴を始めました。すでに旅を始めて一ヶ月が経ちため、顔と腕は真っ黒に日焼けしていたのですが、体はまっ白だったのです。いつも鏡に映った自分を見たとき情けない気分になっていたので、今日は全身真っ黒にするつもりでした。デッキチェアに横たわりながらキラキラと輝く海を眺めていると、どこからともなく2~3頭の牛が歩いてきました。

 “飼い牛”なのでしょうか、“野良牛”なのでしょうか、判断はつきません。浜辺に落ちているスイカの食べ残りなどを、美味しそうにモグモグと食べているようです。もしこの光景を日本で見たら驚いていたでしょう。牛とビーチは日本ではどう考えても結びつきません。

 この時もビーチで牛を見たのは初めてだったのですが、僕は単に「ベトナムのビーチには牛が歩いているんだ。ふ~ん。」と思ったにすぎません。1ヶ月、異国を旅していて“見たもの全て許容する”という回路が僕の中にできているようです。浜辺に歩いていた牛を、当然のごとく受け入れている自分を少しおかしく感じました。

 夕方、ビーチから上がり体にまとわりついて砂をシャワーで洗い流した後、昨日ホテルを移る前の方のホテル、24歳のお兄ちゃん、ソン君のいるホテルへ行ってみようと思いました。ソン君は僕を見つけると満面の笑みを浮かべ、“おー、来てくれたんだ”という風に握手で迎えてくれました。

 そしてソン君は僕が来たことを家族の皆に知らせに行くと、あちこちから「よく来た、よく来た」と家族の人たちが集まってきました。彼らの歓迎ぶりを見ると、昨日彼らが言っていた「いつでも来てくれ!」というのは、やはり社交辞令ではなかったのだと少しほっとしました。

 そしてもうすでにホテルの客でもなんでもなく、言葉もほとんど通じない一介の旅行者にすぎない僕を温かく迎えてくれる彼らに対し、感謝するとともにやっと僕が”会いたい”と思っていたベトナム人に会えたことに嬉しくなってきました。

 ソン君のお姉さんが「夕飯はもう食べたの?」とジェスチャーで聞いてきました。僕が「まだだ」と手を横に振るとは、「じゃあ、一緒に食べていきなさい!」と僕を椅子に座らせました。

ソン君の家での夕飯は多分楽しいものでした。みんなけっこう大食漢であり、僕が「お腹はいいぱいだ」と言っても、「せっかく君のたもの作ったんだ」とばかりに、オムレツや魚やらを僕の前へ並べるので、つい食べ過ぎてしまいました。

食後、ソン君のお姉さんが、「あとでお腹をこわさないようにコレを飲め」と、薬を僕の前に差し出してきました。普通の錠剤だったのですが、周りのみんなが僕を見てクスクス笑っていたので、単なる胃腸薬ではないということがすぐにわかりました。 

 マリファナの錠剤かと思ったのですが、せっかくの親切心を無にするわけにいかないので思い切ってゴクリと飲み込みました。飲み込んでからこれは何の薬代と聞くと、両手でガッツポーズを取り「元気になる薬だ」と言っています。何やら少し心配になってきました。

 食後、ソン君が撮ったホームビデオみんなで見ていると、夜のサムソンの街を散歩しようと、ソングが言ってきました。食後の腹ごなしにちょうどいいと思っていたので僕は出かけることにしました。

 サムソンの街は海辺に近い通りはバーややカラオケなどがあり賑やかなのですが、ちょっと外れると急に静かになります。ソン君は細い路地へと入っていきました、街灯がないため暗くて道がよく見えません。どこ行くかと思ったら、やがて明るい灯が見えてきました。

 そこは何かの教室のようで、先生と十数人の生徒が何か勉強してるようです。ソン君が先生へ挨拶すると先生が僕らの方へやってきました。その女の先生は英語の教師であり、20年間英語を教えて教え続けているということでした。

 やがて生徒達が僕らのまわり集まってきたので「 Can you speak English ?」(英語は話せますか)と聞くと、みんな照れて笑っているだけでした。すると生徒の代わりに先生が、「その子たちはまだほとんどは英語が話せないの」と答えてくれました。

 ソン君が英語の先生を通して、「明日の朝食も一緒に取れないだろうか?」と聞いてきました。僕が「明日は朝の6時にサムソン発のバスに乗らなければいけないから、残念だけど無理だ」と言うと、ソン君は随分と残念そうにしていました。

 そして彼の友達の紹介したいと言うので場所を移すことしました。彼の友達はいつもみんなで集まってるでしょう。彼らの”溜まり場”ぶ集まっていました。男の子が6人、女の子が2人。みなソン君と同世代と思われ、人懐っこそうな笑顔をしていました。

 彼らの中に、英語が話せる男の子が一人いたので、彼を通訳として会話をしました。基本的に彼らの質問に僕が答えるっていうスタンスを取っていたのですが、通訳がわりの男の子が 僕の返答をベトナム語でみんなに話す度に何やら、ゲラゲラと笑い声が起こったりワイワイ騒いでいました。

 彼らは陽気な連中でした。大人しく見えていたソン君も友達を相手に雄弁にそして楽しそうに何か話しています。24歳で毎日ゲストハウス業(家業)に精を出さなければならない彼も、このような場面を見ているいと。まだ彼も”青春の中にいるんだな”と、ふと思いました。

 楽しいひと時も終わり、彼とは最後に抱き合って分かれました。もう彼とは会えるかわからない。けれども”もし今度は日本で再び会うことができたら、どんなに素晴らしいだろうか”

そんなことを考えなら僕はホテルへの夜道を歩いて行きました。

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