高宮の履歴書9「担任は赤ジャージ」

学級崩壊が小4。
荒れていたね。
そして小学五年生になった。

学級崩壊した担任が学校を去り、新たな先生が来た。
この担任が俺たちと人生を大きく変えた人で感謝している人も多い。

なにせ初登場が上下ともに赤ジャージだったから。
記憶に残っているもんだ。
ごくせんが流行っていて、ごくせんの真似だったのかな。
ヤンキー先生。
熱い先生だった。

教師を語らせると俺はネガティブになるから多くは語れない。
うちの家系は教師嫌いが多いから、そのように洗脳されてきた。

小中高大ときて、まともな教師はほとんど居なかった。
だからこそ、小五で担任となったNは教師像としては理想だったのかもしれない。
高校や大学になった際に、教師を目指す同級生が相談に行ったりしていた。

では、理想の教師像ってなんだろう。
カスみたいな教師が多い中、慕われる教師というのは少ない。
結局そこに愛はあるんか、ということに尽きる。
それは放任主義でも、ガチガチに縛った恐怖政治でも無い。

教師と生徒が参加しあい、相互に高め合う環境が大事なんだと思う。
そうだろ?
やらされている感や、やってあげてる感なんて速攻でバレる。
意味が無いんだ。

先日、仕事の付き合いの人が定年退職となった。
65歳で夢を追うそうだ。
次の仕事は国語の教師。
60歳から教員免許の取得をめざし、取得に至ったよう。

教師っていうのは社会性が無いっていう。
社会に出ずに教師になり、社会を語るその姿勢こそが不快に感ずる。
「お前らそんなんじゃ社会に出てもやっていけないぞ」
などと言うが、社会に出ていないのはそちらではないか。

だから、社会を経てから教師になった先生については尊敬に値することが多かった。
生徒全員が教師になるわけじゃない。
多くは社会に羽ばたくんだから、そのための準備期間。
大切なのは子供たちを成長させることである。

というわけで説教臭いことはこの辺で終わりにしよう。
蛙の子は蛙っていう。
大人になった今、その意味が本当にわかるものだね。

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