推し活は自分のバリアーであり武器だ

22歳、記者になるから趣味を捨てた

中学生から大学生までの10年間、歌手のaikoが大好きで、自分のアイデンティティのひとつだった。多分当時の友人の中では、「私=aikoのファン」でインプットされてるくらい、私を表す大事な要素だった。でも、22歳で記者になった時、その趣味を捨てた。

今考えたらバカな話だと思うけど、当時の私は、“まるで修道院に入るか“のように、「俗世は捨てないと。何かあったらいつでも飛んでいけるようにしないといけないんだから」と考えていた。今となっては覚悟を決めすぎていたと思うけど、当時の自分は清水の舞台から飛び降りるような気持ちだったのだ。「もうライブに行けないから、aikoファン卒業する」と当時の自分は周りに公言してた。今あの時の自分に会えたら…「やめなさい、自分の好きなものを自分から手放す必要ないよ!」と言って止めたいなあ…。

コロナ禍で変化した社会の情勢とエンタメの楽しみ方

それから慌ただしく仕事に追われて、子育てに追われて、母親の看病に追われて、気づけば子どもたちは小学生になった。そんな頃、社会にも変化が訪れて、コロナ禍に突入。特に、リアルで舞台が楽しめなくなり、多くの舞台が公演中止や延期に追い込まれるなど、エンタメ業界は苦境に立たされた。ただ一方で、「舞台を家で観る」選択肢が一般化し、ライブや演劇がお家で楽しめるようになった。

「オンライン配信」が目に入るようになって、私は自然と大好きだったバンドのライブ配信を観るようになった。最初はYouTubeから、次第にチケットを購入して観るようになり、気がつけばそれが日常になった。子育て中の人や、介護中の人、なんらかの事情で劇場に足を運べない人にとっては大きな変化だったと思う。そして、業界側としても、これまで取り込めなかった層をファンにできるチャンスになったとも言えるだろう。私もまさにそんなファンの1人だ。

宝塚の沼にハマって変わった日常

昨年、たまたまチケットが手に入り久しぶりに観劇したのが、宝塚歌劇だった。元々、中高で演劇部に入っていたので、舞台には馴染みがあったが、観劇は15年ぶりくらいだった。当日、観る前にYouTubeで検索をかけて、舞台の予習をした。歌が!歌がうますぎる。なんでこんな足上がるの?やばすぎる。(語彙力)宝塚ってこんな感じだったっけ?と思いながら東京宝塚劇場へ向かった。3時間後、すでに私は沼にハマった。

それから、オンライン配信やCS放送で多くの舞台を観てきた。舞台を観る時間を作りたいから、仕事も頑張る。仕事を頑張ったから趣味の時間が楽しい。そのうち、好きな組ができて、特に推したい方ができて、沼は底が見えない。これぞ底なし沼…!!元々リサーチ癖があるので、歴史も作品数も豊富にある宝塚は、調べきることがないかもしれない。しばらく沼に浸かってると思います。

趣味の予定があると踏ん張りがきく

もちろん、仕事と育児、家事と勉強でバタバタしているので、昔みたいにライブに全部ついていくとか追っかけはできない。ただ、「今晩はあれを観たいから仕事を頑張ろう」とか「今日うまくいかない…音楽聴いて元気を出そう!」とか、自分の中で踏ん張りが効くようになった。

推し活は「バリアー」だなと最近感じる。特に結構限界まで頑張りすぎてしまう自分のようなタイプには、頑張り過ぎる前に自分を守るためのお守りのような存在だと感じる。趣味について発信することも、「仕事に関係ないし…」とか「遊んでるようにみられるかな…」と思って避けていたが、趣味も含めて自分らしさ、多面性だし、その趣味を通じてまたつながりができたり、教養が増えると、バリアーを超えて「武器」のように感じるまでになった。

覚悟を持って趣味を捨てた22歳の私へ。
また私は趣味を楽しめ日が来るし、その趣味はバリアーでもあり、武器にもなっているよ。だから安心してね。

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