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江戸の痕跡 神田お玉ヶ池界隈

かつて江戸の神田には、お玉ヶ池という池があった。
その規模はなんと、上野の不忍池よりも大きかったという。
しかし幕末の頃までには池はほとんど埋め立てられ、
界隈には、多くの著名人が塾や道場を開いていた。

今日は天気もよいので、江戸の痕跡を求めて、近所をぶらぶら散歩することにしました。
家から秋葉原や神保町に向かう際、通過するのが神田お玉ヶ池界隈。とはいえ今、池はなく、商業ビルとマンション、民家が建ち並んでいます。

まず目指したのは、大門(おおもん)通りにある弁慶橋跡
弁慶橋といえば、赤坂見附の弁慶濠に架かる橋をご存じの人も多いでしょうが、実は赤坂見附の橋は明治時代に架けられたもので、江戸時代の弁慶橋はこちらのことです。

お玉ヶ池を埋め立てる際にできた水路の藍染川(愛染川)に架かる橋で、大工棟梁・弁慶小左衛門の手による名作と評判の橋でした。現在は跡形もなく、案内板が建つのみですが、行ってみるとマンション建設の真っ只中で、案内板も撤去されていました。残念。

弁慶橋跡から、お玉ヶ池をしのぶよすがとなっている繁栄お玉稲荷へは、西へ水天宮通りを渡ってすぐ。「お玉が池跡」の標柱が建ちます。小ぶりな社ですが、一角に少し水がためられていて、金魚が泳いでいました。ささやかながら、池のイメージでしょうか。

繁栄お玉稲荷に隣接するお玉が池児童公園にも、「お玉ヶ池跡」の標柱が建っています。
その昔、お玉ヶ池のほとりにあった茶屋の娘お玉は、いずれ劣らぬ二人の男性に言い寄られ、思い余って池に身を投げてしまったのだとか。お玉を哀れんだ人々は、亡骸を池のほとりに埋め、お玉稲荷を祀ったのだといいます。

児童公園から少し南、水天宮通りに面する角地には、「お玉ヶ池種痘所」の標柱が。この地は幕府の勘定奉行を務めた川路聖謨(かわじとしあきら)の拝領屋敷跡で、屋敷を借り受けた伊東玄朴ら蘭方医たちが、安政5年(1859)5月に種痘所を開設しました。東京大学医学部の前身とされます。

西に昭和通りを渡り、岩本町交番の脇道に入ったところに建つのが「右文尚武」の碑。これは北辰一刀流剣術の開祖・千葉周作の玄武館道場と、その西隣にあった儒学者東条一堂の遥池塾の記念碑です。以前、ここには小学校があり、校門にこの碑が建っていましたが、今は小学校もなくなり、マンションの敷地となっています。

神田お玉ヶ池の千葉道場といえば、幕末江戸の三大道場の一つに数えられた名門。千葉栄次郎、海保帆平、森要蔵、山岡鉄舟、井上八郎など錚々たる門人たちがいました。

また玄武館の斜め向かいには天真心揚流柔術の道場があり、玄武館とかけもちする門人もいたとか。もともと千葉周作は剣だけでなく学問も推奨し、隣の遥池塾で学ぶことを勧め、遥池塾の東条もまた、玄武館で鍛錬することを門人に勧めました。千葉も東条も文武両道を若者たちに勧めていたわけですね。「右文尚武」の碑は、このことを表わしています。

なお、場所は不明確ですが、幕末のお玉ヶ池には、漢詩人で志士たちと交流があった梁川星巌(やながわせいがん)の玉池吟社があり、一説にその隣で塾を開いたのが佐久間象山であったといいます。玉池吟社は明治の頃まで建物が残っていたとされますが、関東大震災後の混乱で場所がわからなくなってしまったようです。いずれにせよ幕末のお玉ヶ池界隈は、志を抱く若者にとって大いに学べる場であったといえそうです。

最後に、再び昭和通りを東に渡り南下、350年続く老舗の小津和紙店の北側に、なんとも不思議な碑があります。「史蹟 於竹大日如来井戸跡」。説明板には、次のように記されています。

於竹大日如来縁起
 於竹大日如来は 寛永十七年(十八才の時)山形県庄内よりでて 当時の江戸大伝馬町馬込家の召使いとなる その行いは何事にも誠実親切で 一粒の米 一きれの野菜も決して粗末にせず貧困者に施した。そのため於竹さんのいる勝手元からはいつも後光がさしていたという。
出羽の国の行者 乗蓮と玄良坊が馬込家をおとづれ「於竹さんは羽黒山のおつげによると大日如来の化身である」とつげた。主人は驚き勝手仕事をやめさせ 持仏堂を造り その後念仏三昧の道に入る これが江戸市中に拡がり 於竹さんを拝まうと来る人数知れずと言う
   於竹さんの詠んだ歌に
  手と足はいそがしけれど南無阿弥陀仏
      口と心のひまにまかせて
 延宝八年五月この世を去る 行年五十八
 五代将軍綱吉公の母堂桂昌院の歌に
  ありがたや光と共に行く末は
      花のうてなに於竹大日
於竹さんが愛用し貧困者が市をなしたと言う有名な於竹井戸はこの地にあった
   昭和四十六年五月吉祥
      史蹟 於竹大日如来保存会

江戸時代前期の話で、於竹さんは小津和紙店とも関わりのある方のようです。そしてこの碑のはす向かいに鎮座するのが、べったら漬けでも有名な寶田恵比寿神社。この一角は、江戸の人々にとって霊験あらたかな、幸福を祈願する場所であったのかもしれません。

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