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えっ、こんなにあったの? 江戸時代のカレンダーは「年中行事」で埋まっていた

4月に入り、本来であればお花見のシーズン。でも、今年の桜は映像や画像鑑賞に留めて、楽しみは来年にとっておきましょう。
ところで皆さんは、年中行事というと何を思い浮かべますか? 2月のバレンタインデー、3月のホワイトデー、4月の年度替わりの歓送迎会……? まあ、現代ではこれらも年中行事といえるのかもしれません(歓送迎会も今年は自粛の方向でしょうね)。実は年中行事と呼ばれるものは昔から季節ごと、月ごとにあり、江戸の人々はそれらを大いに楽しんでいました。本日はそんな江戸の人々の生活を彩った年中行事の記事を紹介します。

花見は昔からの年中行事

桜が咲く頃になると、気持ちが浮き立つ人も多いでしょう。奈良時代の花見は梅を愛(め)でたといいますが、平安時代に入ると花といえば桜になります。もちろん江戸の人々も桜は大好きでした。江戸時代の初め頃は、風格のある一本の桜を鑑賞し、詩歌を詠んだりしていたようですが、やがて桜が各所に植樹されると、桜並木の下で酒宴を開くという、今もおなじみのスタイルに変化します。

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特に8代将軍徳川吉宗(とくがわよしむね)は、江戸の人々が喜ぶようにと隅田川堤(すみだがわづつみ)や品川の御殿山(ごてんやま)、王子の飛鳥山(あすかやま)に桜を植樹し、多くの人々が花見を楽しめるようになります。粋なはからいですね。なお、現在はソメイヨシノが代表的な品種ですが、それは明治時代以降に普及したもので、江戸時代はヤマザクラが大半でした。ヤマザクラはソメイヨシノのように一斉には咲かず、タイミングがずれながら花が咲くので、長い期間花見を楽しめたといいます。

なくなりつつある年中行事

花見のように今もポピュラーな行事もあれば、江戸時代には人気があったのに、今ではなくなりつつある行事もあります。たとえば6月16日の「嘉祥(かじょう)の儀」。今では「和菓子の日」となっていますが、もともとは平安時代に16の数にちなんだ菓子や餅を神前に供え、疫病除け、健康を願うものだったとか。今こそ必要かもしれませんね。江戸時代に入ると、江戸城に登城した大名や旗本に、将軍が菓子を与える日となりました。庶民も16個の菓子を食べたといいます。

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他にも八朔(はっさく)重陽(ちょうよう)玄猪(げんちょ)など、今では聞き慣れない行事を江戸の人々は楽しんでいました。その詳細については和樂webの記事「イベント多すぎっ! 江戸時代のカレンダーが衝撃的だから見てほしい…!」をぜひお読みください。

季節の移ろいを味わい、日々を大切にするために

記事はいかがでしたでしょうか。江戸時代は、こんなに行事が多かったのか、と驚かれた方も少なくないかもしれません。これは江戸時代が平和で、暮らしにゆとりがあったからと、片づけてしまうむきもありますが、私は必ずしもそうではないと思います。

江戸時代の平均寿命は一説に32歳~44歳。人生100年時代などといわれる現代の、半分もありません。医療が発達しておらず、また火事や災害で命を落とす人も多かったでしょう。江戸の人々にとって1年を無事に過ごすということは、現代人が思うよりもはるかに困難を伴ったのではないでしょうか。だからこそ節目節目で、生きていることを喜び、感謝し、今後の無事を願うための行事が生まれたように思うのです。季節の移ろいを行事で確認しながら、一日一日を大切に、楽しく過ごす。そんな暮らしの「一里塚」が、江戸の人々の年中行事であったのかもしれません。

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