見出し画像

次のTURN、それは誰のTURN?

【TURNフェス5】
2015年に始まったTURN。
HPにTURNの説明として載っているのはこんな文言だ。
「TURNとは、障害の有無、世代、性、国籍、住環境などの背景や習慣の違いを超えた多様な人々の出会いによる相互作用を、表現として生み出すアートプロジェクトの総称です」

そう、TURNは徐々にふくよかになり、
多展開しているプロジェクトの総称なのだ。
だからいろいろな側面がある。
現在は四つのプログラムが走っている。
●アーティストと福祉施設・コミュニティが出合う
<TURN交流プログラム>
●福祉施設やコミュニティとアーティストが地域にひらかれた文化施設としての役割を創り出す<TURN LAND>
●TURNの可能性を共有し、語り、考えあう場<TURNミーティング>
●そしてそれらの成果発表の場であり人々が集う<TURNフェス>

TURNは、東京2020オリンピック・パラリンピックの文化プログラムを先導する東京都のリーディングプロジェクトの一つとして始動した後、
2017年度より、東京2020公認文化オリンピアードとして実施されているということだ。

ざっくり言うと、障害のある人や生きづらさを感じている人とアーティスト・アートが出合い、表現としてそこにあるものを提示するような取り組みがTURNということらしい。

私は、東京2020公認文化オリンピアードとして実施され始めた
2017年にはじめてTURNフェスのサポーターとして参加した。
皆目わからなかった。
目の前に展開されているものが何なのか見当もつかなかった。
が、そのことより何より、わからないものはわからないままでよいという、そういう態度のありようがわからなかった。

二回目は、サポートには入らず、
社会福祉協議会に勤める友人を誘って見に行った。
その年は、東京藝術大学で「アートプロジェクト実践論」という集中講座を取っていて、そこでTURNをより良くするためのプレゼンテーションを全員がするという課題があった(この集中講義自体の設計に関してはいろいろと思うところはある)。偶然にも私を含めた何人かの人が、TURNというフェスの告知に関する提案を行った。
さもありなん。社会福祉協議会の人間ですら、TURNなど知らなかったのだから。まずは存在を知らしめようといういくつかのアプローチが集まったことは自然なことだったと思う。

が、しかし参加者の数だけあった提案が(もちろん素人提案の域は出ないものなのだが)、
この年のTURNフェスにどう生かされたのかは全くわからなかった。
TURNにふらりと出かけてみると、身内感が強くそこに入り込むには相当勇気がいるだろうなということがわかった(性格もあるので、人それぞれではあるだろうけど)。


そして今年。一人でふらついてみた。
会場はよい意味で整理された感があり、それでも他コーナーの気配がうまい具合に感じ取れるようなものになっていた。
サポーターに進められてワークショップにも参加したし(岩田とも子さんの「意識の散歩」に参加。岩田さんは藝大の授業でお話を伺っていたので、直接お話できてとても良かった)、
当事者に話を聞けなくともサポーターからいろいろ説明を聞いたりもした。
「さんぽ」と称するプチツアーにも参加したし、
それでもまだまだ表面的な接触であることは十分に理解しているつもりだが、幾分かフェスを味わったかのような錯覚をもてたことも確かである。


そしていつの間にか、わからないということに対する恐怖心が薄らいでいるような気もするのである。森を伐採しながら進んで森がなくなってしまったときに、森こそが目的だったのだと後悔するのではなく、大きな木々の間を怯えながらでも手探りでいく。木肌に触れ、落ち葉を踏み、虫に刺され、遠吠えに驚く。森の中を彷徨う、そんな歩み方。


そうそう実は今回一番良かったと思っているのは、『TURN JURNAL』。せっかくのこういう媒体は、折込チラシを渡すように来場者にデリバリーするのではなく、各エリアのさまざまな場所においておけばいいのにと思った。これはもったいないなぁと。

三年かけて1TURNが終わるのかなという気もしてきた。
次のTURN、それは誰のTURN?

#art_project #turn #turn_fes5

サポートしていただけたら、小品を購入することで若手作家をサポートしていきたいと思います。よろしくお願いします。