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チームラボってデジタルアート?

 先日、チームラボ・プラネッツ豊洲に行ってまいりました。ネットで流れてくる、宣伝の動画などを見ているととにかくデジタルを駆使している印象が強いです。

ボーダレス

 猪子代表がおっしゃるにはテーマの一つに「ボーダレス」があるようです。「境界がない」というのはすごい概念のような気がしました。ある意味、哲学的でもあり、深いです。学生の時、生物の先生がおっしゃっていた「体内と体外の境目はどこか?」ということも厳密には言い表せないですね。

 公共空間に私的な情報をアートとして流す技術、これも猪子代表のテーマだったと思います。これも公と私のボーダレスですね。公共の場で私のことを晒すのは、関係ない他者にとっては心地よいものではない、これを違和感のないもの、あるいは心地よいものに変えていくという作品を目指しておられるみたいです。

 身体ごと没入し、他者と共に世界と一体になる

 豊洲での、テーマはこれです。この会場では、世界と自分は一体化されたものだということを理解できた気がします。世界の中の一人である自分。それは、自分と他者を区別している認識こそボーダーであり、それを超越するという意味のように感じました。

 デジタルアートとして

 様々な、作品を見ているとどうしてもデジタルアートのすごさが全面的に伝わってきます。ただ、プログラミングとミラーとプロジェクションマッピングの組み合わせのすごさですね。

 本来であれば、最先端のテクノロジーは日常生活(スマホやクルマとか)を豊かにするために使われるためですが、あえて「アート」という生活する上であってもなくてもいい分野に投入することの贅沢さを感じることができました。

テーマに沿えてないかも?(感想)

 フィーリングを研ぎ澄ませ、「どうなっているんだろう?」とか視覚・聴覚・嗅覚・触覚・味覚(別料金)で訴えかけてくる作品の数々。ただただ、日常生活では使わない感性を呼び覚ますといったイメージでしょうか。

 好奇心・非日常性といった感覚になりました。ただ、テーマの「他者と共に一体になれたか」というと?でした。正直、自分の頭脳の処理能力が限界でそこまで考えられなかったという感じです。つまり、作品が刺激的で「感じる」という作業でいっぱい、いっぱいという感じです。

 万有引力・常識・当たり前 の中で生活している人々。それらをぶっ壊すという意味での鑑賞という作業。没入はできたという感想です。

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