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とうとう出版社を退職しました②

はじめてのnote投稿、あまり読んでもらえないかなあと不安だったのですが、なんと思いがけずたくさんの方の元に届いたようで驚きました。そしておかげでめちゃくちゃモチベーションが上がっています。読んで反応してくださった皆さん本当にありがとうございます。やりたいこともあって、やるべきこともあって、そしてもちろん自信もあって独立したわけではありますが、人間どうしても不安になります。とくに僕のようにひとりでだれにも相談できるような環境ではない人間にとっては、こうした場所での反応は心強く、おひとり、おひとりに、ありがとうございます、よかったらお茶でも飲みながら、もう少し続きの話を聞いていきませんか?と声をかけたくなるくらいの気分です。

出版社としてスタートしてはみたものの

というわけでさっさと退職した話をかけばよいのですが、僕が勤めていた会社が編集プロダクションから出版社として生まれ変わった話を前回ちょっと書いてしまったので、その続きからいきます。
僕とふたりの先輩編集者そして社長という4人が中心メンバーとなって出版社としてスタートすることになったのはたしか27歳のときだっただろうか。そのときいかに大手取次の口座をもつのが難しいのか思い知った。提示される条件も大手とはまるで違う相当厳しい条件。こちらとしてはほかに選択肢はないのでそれを飲むしかないのである。大手の1社が口座開設してくれることになれば、その他取次さんは右へ倣え。なのでまずはその1社(どちらとはいいませんが)さんとお話しできることが当時は大事だった。いまは知らないけど。出版事業にとにって取次口座は金融口座と同義。これがなければ全国の書店店頭に本が並ばないばかりか出版社の資金繰りに大きく影響を与える。そのハードルはとてつもなく高かった。
取次口座とともにもうひとつ大変だったのは印刷会社さんとの契約。これまでは親会社の保証人のもとに取引をしてもらっていたので、独立したら保証人はいなくなるわけで、かわりにさまざまな与信を要求された。一例をいえばとある印刷会社の株式をものすごくたくさん買わされたり(これって法的に問題あるんかな?言わない方がいいのか?もうなくなった会社だしいいかw)。
僕の思考はまるで子供みたいだったから「いい企画を思うように本にできたら、たくさんの人が読んでくれて、売り上げもあがってみんながハッピー、イエーイ!」程度で考えていたのに事はそう簡単ではなかったのである。
おまけに下請け仕事として引き受けていた月刊アウトドア雑誌(その頃ぼくはアウトドア雑誌の編集長をしていた。入社して4年程度なのに)は、下請け打ち切り。僕が勤めていた会社は売り上げのほとんどを占めていた編集下請け業務がなくなってしまったのである。その事自体ももちろん大変だったけど、僕が一番辛かったのは当時お仕事を外注していたフリーランスの編集さん、ライターさん、デザイナーさん、カメラマンさんなどなどが去っていってしまったこと。当たり前ではあるけれど親会社とある意味ライバル関係になってしまった以上、安定して仕事の発注が見込まれる親会社とまだこの先うまくいくかどうかもわからない新生出版社、どっちにつくか?といえばそれはもう自明である。
ずっと信頼して僕のことをかわいがってくれていたベテランのデザイナーさんから「ごめんね、もう小林くんとこでは仕事できない」と言われたときほど悲しいことはなかった。
27歳、いざ出版社としてスタートしてはみたものの、作っていた雑誌は取り上げられてなくなってしまい、また頼りにしていた外注スタッフも大半がいなくなってしまった。困った・・でもこの状況でもなにか新しいものを作らなくては。そんななかで苦し紛れに創刊したのが自分が趣味として楽しんでいた釣りの雑誌だった。スタッフもこれまで釣り雑誌なんてやったことのないメンバーばかり。釣り好きのミュージシャンや土木作業員まで動員した。かき集めたスタッフに「まるでアパッチ野球軍だな」と言ったら、「いやアストロ球団だろ」といわれたけれどどっちの例えも古くてたぶん現代では通じないだろう。と、これまた掘り下げていくとめちゃくちゃ長い物語になってしまうので割愛するけど、これはこれで古い業界の伏魔殿みたいなところだったために当初はずいぶんいじめられたし苦労もした。でも、ラッキーだったのは時代の後押し。トップアイドルやコピーライターが釣り好きを公言したことで一気にメジャーになって、気がつけばびっくりするような部数になっていたのである。

人は利によって動く


社員1名の編集プロダクションはいつの間にか社員30名以上を抱える出版社になっていた。それでも小さいと言えば小さいのだが、ほぼゼロからのスタートだった僕にとってはとても誇らしい立派な出版社に見えていたし、実際、この頃になると優秀な人材も次々に集まってくるようになった。会社の勢いや業界の風みたいなものは知らず知らずに人の耳に届いていく。自然といい人材が集まり、結果的にそれがよい成果物につながるという好循環になる。逆もまたしかり。勢いを失いつつある業界からは蜘蛛の子を散らすように人材が逃げていく。
おもしろいもので、独立したととき去っていった人たちもまた何事もなかったかのように戻ってきたりもした。もちろんこちらは覚えている。一番苦しいときに信用してくれなかった人だってちゃんと心のノートに書いてある。でもね人間てやっぱりそうなのよ。責められない。その頃の僕の手帳に書いた言葉はこれだ。
「人は利によって動く」
だから逆にあの頃、新しい業界でなんの実績も出せてない僕が創刊した雑誌にはじめから協力してくれた人のことは今でも忘れていない。というか、その人は今回僕が「とうとう出版社辞めたよ」とFACEBOOKに書いたときも一番に連絡してきてくれた。今はもう全く違う業界にいるのに。本当に素敵な人だなとおもったし、僕もそうありたいと思った。
そんなわけで、当時は出す本、出す本、飛ぶように売れて、楽しくてしょうがなかった。そんなこんなでアウトドアという専門ジャンルに特化した出版社としてある程度成功をおさめた僕の会社は、ここでいよいよ「一般誌」のジャンルに参入していく決断をするのである。

ぜんぜん退職に行き着かないどころか、まだ20代の自分の思い出ばなしですみません。でもまあここは自分が書きたいことを書く場として選んだところなのでお許しください。フォロワー10万人に満たないインスタグラムではあるものの、やっぱりそこで表現していることはいつの間にか自分の書きたいことというよりも、みんなが喜んでくれるもの、少しでも世のためになること(なってるかはわからないけど)になっている。だからこそ、ここでは少し賛否わかれるようなことも書いていきたいし、読みたい人だけに届けばいいとも思っている。

というわけで続きます。長いねww

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