社会人時代⑦

ともかく会社のほうは1992年にPC-9801FAが導入された。外付けHDD10MBが付いており主に一太郎とLotusを動かしていたような気がする。そういえば入社2年目のころ隠れてアルバイトをする機会があった。
以前の会社に勤めていた時の先輩が忙しいので、手伝って欲しいとの事だった。とある機械の部品を管理するプログラムのようなもので、今だったら「アクセスでやれば?」って感じだし、その当時でもSQLなどで出来たような気がするが、Cで全部を組むという計画だったので、人手が欲しかったらしい。結局週3日ほど20:00~24:00のアルバイトで月10万ほど稼いでいた。半年ほどかかったが、結局計画はバイト先の社長が失踪するという事件が起こりお流れになった。
結局このバイトの金で初めての自分のマシンを購入することになる。それは東芝のDynaBookだった。とはいってもXeroxのOEM機である。モノクロで8086という非力ではあるが、なんと言ってもノート型ということで、大変助かった。思い返せば、このマシンがあったからこそパソコン通信を始めることが出来たと今でも思う。

初めてのパソ通、それは1991年の12月からだったYES-NETや、オーロラネットなど、札幌のローカルなネットを色々さまよっていたが、あまり入れ込む事はなかった。
はっきりいって、その頃札幌に拠点のある面白いネットというのには見あたら無かった。そこで次に入ったのが技術評論社が行っていたジュピターである。その頃技評が出版していたTheBasicは、中村正三郎のエッセイやためになる記事が多かったのである。そこが行っていたパソ通がジュピターネットだった。ソフトの時はガニメデネットでねって感じだったと思う。

しかし電話先は東京だ、いくら料金がかかるかわからない。ということでせっせと勤務先の電話を使ってパソ通していたのだ。とは言ってもチャットなどをしていたのではない。
サーバーに登録されたフリーのソフトをダウンロードしていたのだ。何せDynaBook-J3100用のソフトなどそんなに発売されていなかったので、このサービスはありがたかった。9,600bpsの世界ではあるが、毎日のようにダウンしていたのである。まだインターネットなど無い世界である。

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