見出し画像

フジロック出店への道のり vol.1『フジロックとの出会い』


音楽好きでなくても一度はその名を聞いた事があるほど有名な野外音楽フェスティバル『FUJI ROCK FESTIVAL』。
1997年に富士の麓で台風直撃を食いながら行われた伝説の第1回目から会場を東京豊洲、新潟県苗場と会場を変更して実に25年以上続いている。

90年代後半、当時僕は二十歳そこそこの美少年で横浜に住んでいたのだが土地柄、レゲエやヒップホップにハマり「ロックフェスなんか」とフジロックをスルーしてたものの、本牧のとあるカフェで見つけたフリーマガジン『balance』(1996年創刊。『swich』の創刊に関わり現在はフリーペーパー『Lj』菊池崇氏が編集長。)に東京の豊洲で行われた第二回フジロックの模様が記録されていたのだが「暑苦しいイベントだな」と感じただけでこれまたスルー。それよりもそのbalanceの表紙の写真が強烈過ぎて「なんだこれは?」となった訳です。

photo by kotaro

その写真はパーティー系カメラマンの先駆者kotaro氏(現在もフジロックにてDJで出演している)が撮影した野外トランスパーティーで、幾何学模様の会場装飾の中、民族衣装みたいな服を着た人々が泥だらけで踊り狂っているという有様で、好奇心旺盛な20代の高尾は直ぐに没頭(笑)。フジロッカーとは程遠い遊びをしてたのですがそんなパーティーで会う人や今回の出店を手伝う事になった服部君も実際フジロックへ行った人も多かったりして「あれはロックフェスじゃない」、「フジロック半端ない」、とか良くも悪くも抽象的な感想ばかり述べるので尚更良くわからずスルーは続いてました。今思えば、実際に行かないとわからないという事ですね。あのヤバさは。笑

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?