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宮崎県東諸県郡国富町のエスニック食堂『たかお食堂』店主高尾です。 ⚡️ROAD to …

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宮崎県東諸県郡国富町のエスニック食堂『たかお食堂』店主高尾です。 ⚡️ROAD to FUJI ROCK FESTIVAL🪩 人生を賭けて臨んでいるフジロック出店に纏わる思いと体験を綴ってます🖌️

最近の記事

フジロック出店への道のりvol.13『DAY3.2』最終章

フォーとジャスミンライスを近隣のスーパーなどに売ってないか探す。幸いジャスミンライスは湯沢町のスーパーに少し在庫があった。それでも100食くらいか?全然足りない。 そんな中、宮崎のたかお食堂の店舗へも仕入れているエスニック食材店が群馬県にある事に気づいた。Googleマップで調べると片道2時間。往復4〜5時間くらいだろうか。早朝にも関わらず連絡が取れた。在庫を確認した所、十分な量を確保する事ができた。兆しが見えた瞬間。 スタッフひろにぃが朝9時にハイエースで買い出しに向かった

    • フジロック出店への道のりvol.12『DAY3.1』

      怒涛の土曜日だった。 DAY2の閉店時間am5:00 誰もいない早朝のオアシスで出店担当のMさんと話し合いをした。 高尾「すみません。フォーがなくなります」 Mさん「あと何食出せますか?」 高尾「30食くらいかと...」 Mさん「それじゃ一撃ですね」(苦笑) 高尾「ジャスミンライスも無くなりそうです...」 Mさん「近辺で購入できないか探しましょう」 フォーとジャスミンライスは想定以上に持って来た。しかし想定以上のさらに上まで売れてしまった。 正直見込みが甘

      • フジロック出店への道のりvol.11『DAY2』

        DAY2 土曜日 出店本部より出店者へ土曜日が最も来場者数が多いと聞いていた。 今日のヘッドライナーはフーファイターズ。 我々が出店しているオアシスエリアはメインステージに隣接しており終演後に大きな人の波が押し寄せる事もわかった。 朝、スタッフと顔を合わせ「まだ折り返してないね」と苦笑い。ここからが本当の気力と体力と自分との戦いとなった。 朝9時オープン。 昼11時には行列。その行列は深夜まで続いた。  自己評価するにはおこがましいが我々たかお食堂の料理提供スピードは凄

        • フジロック出店への道のりvol.10 『DAY1』

          来場者数に圧倒されながらもなんとか提供を続けた前夜祭。フジロックの洗礼を受けついに本祭がスタートした。 朝9時オープン。 早番はスープや副菜の仕込みを完了させ、低かった棚の位置などのハード面を修正する。 そして昨夜の疲れを引きずりながらもDAY1スタート! 天気は快晴☀️ 澄み渡る苗場の空は本当に美しい。 そこには国内外から200組を越す最高のアーティストによる最高のパフォーマンス。音楽ステージ以外にもゴンドラやサーカス、メリーゴーランド、野外シアターなど楽しみが無限に

        フジロック出店への道のりvol.13『DAY3.2』最終章

          フジロック出店への道のりvol.9 『前夜祭』

           木曜日 前夜祭 フジロックのフードエリアは全長4kmにも及ぶ広大な会場に10ヶ所に振り分けられており我々が出店するオアシスエリアは前夜祭の会場でもあり会期中は朝9時から翌朝5時まで営業するエリアでした。 前夜祭はなんと入場無料で今年は様々な規制を解除されたこともあり来場者数が1万人を超えとんでもない人でごった返したのでした。 たかお食堂はオープンと同時に長蛇の列。というかほぼ全ての店が列を作った。 前夜祭は0時までの6時間営業。 僕らは本祭の3日間に向けての準備運動と思っ

          フジロック出店への道のりvol.9 『前夜祭』

          フジロック出店への道のりvol.8『設営』

          水曜日。 野沢温泉村を出発した一同は会場となる苗場を目指す。 途中の道中では『⚠️熊出没注意』の看板があるなどフジロック会場は標高1000メートルの山々に囲まれた場所である事を感じさせられる。 会場に到着して設営に取り掛かる。 用意されてるのは4m×4mのテントに4m×2.5mのバックヤード、その横は保冷車を留置するスペース。机2台に椅子4個だけ。 あとは自分たちで店を作る。 野外出店では当たり前な事で何度も経験をしてきた事だがさすがに今回は事前にレイアウトをシュミレーショ

          フジロック出店への道のりvol.8『設営』

          フジロック出店への道のりvol.7『苗場へ』

          2023年7月28.29.30 いよいよFUJI ROCK FESTIVAL'23が開催される。 僕たちはハイエースと軽トラックに機材を積み込み月曜日に宮崎発神戸着のフェリーに乗り込んだ。 フジロック出店で難しい課題のひとつとして大量の機材と食材を運び入れる過程がある事だ。大阪で2tトラックをレンタカーして業務スーパーにて予め注文していた食材を積み込み北上。火曜日は会場まで2時間の位置にある野沢温泉村をベースキャンプ地とした。 ここでも業者から送った大量の物資が届けられて

          フジロック出店への道のりvol.7『苗場へ』

          フジロック出店への道のりvol.6『仕込み』

          5月に出店確定の通知をもらい直ぐに東京で出店者説明会がありました。 いかにも〜的な服装な人達が会場にはたくさんいてもうすでにフェスが始まってる感じで高揚する。 ここでは出店管理本部からの説明やスポンサー、業者の紹介、歴代出店者達との交流もあり初出店の僕らにはとても有意義な時間となりました。「次は苗場で!」と約束をして宮崎へ帰ってきました。 さぁ、2ヶ月かけて仕込みです。とはいえうちは食堂を営業しながら空いてる時間を見計らってやります。店休日にも出て来てやってます。500キ

          フジロック出店への道のりvol.6『仕込み』

          フジロック出店への道のり vol.5『飲食業へ転身』

          2012年は宮崎へ移住しマッサージしながら小さなレイヴやマルシェで飲食出店する様に。イベント出店を続けながら実店舗もオープン! すっかり飲食業のおじさんになってしまいマッサージもする方からされる方に。  そんな事からフジロックへは行かなくなってしまった訳ですが それなら飲食出店でフジロックへ出てやるぜ! と、とんでもない野望を抱き始めました。毎年年明け頃にフジロック公式サイトで飲食出店の募集が出るのですがエントリーすれば誰でも出れる訳でなく書類選考を通過し2時選考は面接と

          フジロック出店への道のり vol.5『飲食業へ転身』

          フジロック出店への道のり vol.4『フジロック初参戦』

          2011年。僕は初めてフジロックへ行く事になりました。しかも遊びではなく仕事で。 どんちゃんの運転する車に同乗し関越道を北上。会場について目にしたその規模のデカさに驚いた。全長4kの広大な会場に大小様々な会場がありマッサージ屋はホワイトとヘブンの間にあるNGOビレッジが現場でした。 前日設営で床張りから自分たちでするのですがスタッフ用にと須田さんが用意した軍手を渡されたが着用せず素手で作業してたら近くの木に止まって鳴いていたセミがびっくりしておしっこしながら飛び去るほどに

          フジロック出店への道のり vol.4『フジロック初参戦』

          フジロック出店への道のり vol.3『ボスとの出会い』

          どんちゃんから紹介されたのは須田さんという人で鎌倉の長谷で自宅サロンをされてました。紹介された当日はどんちゃんと共に伺い部屋に招かれたのだが当の本人は眼がやたらギラギラした50代後半のおじさんであまりこの世代の人に知り合いもいなかった事からなんの話をするのか緊張したのを覚えてます。出されたお茶の味もなんだかわからないくらいです。しかし須田さんは趣味やフジロックの話になるととてもフラットで歳の差を感じさせない語り口調でした。 僕はマッサージも習いたてだし戦力になれるか不安だっ

          フジロック出店への道のり vol.3『ボスとの出会い』

          フジロック出店への道のり vol.2『パーティーは人生の進路を築く』

          30代。週末のパーティー三昧の日々もあまり行かなくなって仕事に没頭。しかし仕事し過ぎたら体調壊しついには退社。しばらくは実家で静養していて金は無いけど時間はあったのでタイでマッサージを習って新たな仕事を始めようとしてました。そんな矢先、昔パーティーで知り合ったぴろみちゃんというキノコのアクセサリーばかり作りそれをフェスで売り歩くおもろい娘の結婚式に招かれ行ったのですがこれまた集まった人たちが上手に社会から脱線してる人ばかりでして。 その中にどんちゃんという真面目そうなルック

          フジロック出店への道のり vol.2『パーティーは人生の進路を築く』

          フジロック出店への道のり vol.1『フジロックとの出会い』

          音楽好きでなくても一度はその名を聞いた事があるほど有名な野外音楽フェスティバル『FUJI ROCK FESTIVAL』。 1997年に富士の麓で台風直撃を食いながら行われた伝説の第1回目から会場を東京豊洲、新潟県苗場と会場を変更して実に25年以上続いている。 90年代後半、当時僕は二十歳そこそこの美少年で横浜に住んでいたのだが土地柄、レゲエやヒップホップにハマり「ロックフェスなんか」とフジロックをスルーしてたものの、本牧のとあるカフェで見つけたフリーマガジン『balance

          フジロック出店への道のり vol.1『フジロックとの出会い』