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【社史】探究学舎実録29~遠い親戚より近くの他人。遠い泰伸より近くの…?~

前回までのお話

前回の投稿では2017年9月から2018年3月までの三鷹教室での出来事をざっと見てきた。あつしくん、かいとくんという2人の今でも探究学舎で社員として働くメンバーの登場もあった。

そして実はこの時期、他にも新しい仲間が加わっていたことも書き記しておきたい。やや経緯が特殊なので、前回とは分けてみた。

新しい仲間PART2


こちらは2018年4月のGFシフト表。よくこんなものを保存していたものだ。きっと将来社史を順調に書き進めることを予期していたのかもしれない。

前に立って授業するのはMF。そして各テーブルで子どもたちのサポートをしながら、個々の学びを創出する役割がGF(グループファシリ)。昔はサブファシリと呼んでいたのだが、2017年前後からGFと呼称するようになったはずだ。

そしてこのシフト表にある木村というのが…


”東大卒ニート”でおなじみ、ピカだ。今では個人としてさまざまな教育コンテンツを作って活躍している。名前が「光太郎」だからピカというニックネームなのだが、あいも変わらずあだ名で呼ぶことの苦手だった僕は、今に至るまで「光太郎さん」と呼んでいる。

実は光太郎さんとの出会いはかなり古い。記憶が定かなら、たしか2016年ごろTV出演した塾長を見て、当時大学院生だった光太郎さんが塾長に連絡をして、三鷹の教室に見学に来たのが初対面(たぶん『ニッポンのジレンマ』だったような)。

三鷹駅前の居酒屋で塾長と僕と光太郎さんと3人で飲みながら、教育をはじめいろんな話をしたはずだ。ちなみになぜか一番盛り上がった(かつほぼ唯一記憶に残っているテーマ)が「一夫一妻制は人類に合った婚姻形態なのか?」だった。教育全然関係ない。

その後光太郎さんが休学→世界一周(半周?)旅行を経て、2017年ごろからGFとしてコミットし始めて、探究との本格的な関わりが生まれた(光太郎さんのMFとしての正式デビューは2019年9月の音楽編から)。「ふざけ」と「生真面目」の両極端を併せ持ったあたり、さすがは「東大卒」「ニート」というべきか。

そしてもう1枚のシフト表を見つけた。


2018年2月のMFシフト表。僕の小学生クラスデビュー戦は3月からだったので、まだシフトには名前すらない。この金曜日のクラスにちょくちょく名前が出ているMFが、ふくいけんだ。現在は退職しているのであだ名で書こうと思ったのだが、あいにく本名が「ふくいけん」なので伏せようがない。ちなみにゴリゴリの大阪出身だ。

ふくいさんは後に探究に入社することになるのだが、当時は週1回MFとして探究にコミットしながら、自由人らしくいろんなことを面白がって手伝っている、僕の少しだけ年上のお兄さん(おじさん?)。初めて会ったときは「こんなに教養豊かで面白い人いるんだぁ…」と結構衝撃的だった。

当時彼が働いていた会社のスタッフがいろいろ縁あって、研修という形で探究学舎のGFに参加した。今では「研修としてGFに入り、そこでの振り返りなどで得た学びを自分達の仕事に活かす」という形態はよくみられるのだが、いわばその端緒とも言うべきがこのとき。2017年の夏の探究スペシャルだった。

そしてこの時に入ったGFで、群を抜いたパフォーマンスを発揮し、子どもたちを惹きつけ手懐け、しかも凄まじい分析力と教養が炸裂した振り返りレポートを提出したことで塾長の目に止まったのが、ふくいけんその人。そんなふくいさんに「よし!お前もMFやるか!」と例の如くとんでもない巻き込み力を発揮したのが、塾長。かくしてふくいさんは同年9月の人体医療編からMFとしてコミットすることになった。

ちなみに僕とふくいさんが初めて喋ったのが、ちょうどこの年の年末か次の年始にあったスタッフ交流会(忘年会or新年会的な)。そこでめちゃくちゃ喋ったわけではなかったが、帰りの電車が同じで数駅分だけお話しした。よく覚えていないが、なんとなく「古代メソポタミア」の話をした気がする。なんでそんな話になったんだろ。でも少し喋るだけでわかる知性と教養と言語化力に魅せられたのはよく覚えている。

そうこうして、探究学舎にもまたさらに仲間が増えていった。

初の出張同行

新しい仲間が続々増え始めたこの2017年。僕もまた1つ初めての経験を積むことになった。出張である。まだ大学生アルバイトだった当時の僕にとって、その響きだけで社会人感を堪能できる仕事だった(アホ丸出し)。この時期探究学舎が東京三鷹を飛び出し積極的に向かった先がここ。


岐阜。幾つか前の記事でも書いたが、横浜の探究スペシャルにスタッフとして入ったことはあったが(この時のお話は実録22に)、首都圏を離れた出張は初。何かのご縁で塾長と繋がり意気投合した、岐阜と名古屋の教育会社の社長さんたちと共同で開催したはず。

下のプログラム表にもある通り、フルフルで探究スペシャルを実施したわけではなく、各コンテンツの1コマ目だけを体験版として開催した。


この年に初めて出張に行ったことは覚えていた。だが、この社史を書くまで「あれ、僕ってどのタイミングで出張行ったんだっけ…?社員になった後のやつは覚えてるんだけど…」とこんな感じだった。行ったことも授業したことも、出会った生徒も覚えているのだが、どうも時系列に関する記憶がぼんやりとしていた。(人間の記憶というものは実に曖昧だ)。

そして色々資料を漁っていてようやく思い出した。


これだ。以前も登場したムラちゃん(この年に晴れて新卒入社第1号となった。初登場は実録23を参照あれ)と一緒に現地に行った。面白いもので、僕ら2人は岐阜の現地会場でGFなどをしながら、授業の進行は三鷹会場と中継で繋いで塾長がMFをするという変わった取り組みだった(zoomだと思うだろ?確かFace Timeで繋いでいた)。

ただ中継をするということは機材一式を持っていかねばならず、マイクなども現地の会場にはなかったため。僕ら2人の出張の荷物は…


誰が好き好んで1人2個のキャリーケースを引きずりながら新幹線に乗るのだろうか


誰が進んでこんな大きなスピーカーをケースに入れて、1人1個首から下げて中央線に乗るのだろうか

ちなみに実際の授業はというと、中継で繋いだ音声や画像があまりにも不安定で、結局途中から中継することなく、「三鷹は三鷹」「岐阜は岐阜」という形で別々の進行で授業をした。後半はほとんどムラちゃんが授業をしていた。当時圧倒的な知名度とカリスマ性を誇った塾長(当然保護者もそれを期待している)だが、不安定な中で授業するくらいなら、現地にいてくれるムラちゃんの方が圧倒的に面白い。

遠くの泰伸より近くのムラちゃん

そんな名言が生まれた瞬間だった(生まれてない)。

これ以降僕は入社後何度も名古屋出張に向かい(出張先は最多かも)、当時であった方々に大変お世話になることになる。


さてこの時授業した経済金融編というのが、僕の入社に大きな影響を与えることになるのだが(この夏の時点ではまだ探究への入社を決めかねていた)、ちょっと長くなってしまったので、それはまた次の投稿で。

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