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世界のおばあちゃん崩御

西側諸国の市民共通のおばあちゃんとして親しまれていたエリザベス女王陛下が亡くなられてしまった。

何しろ、自分が生まれた時に既に英国の女王つまり、国家元首だった人だからね…。というか、彼女が即位したのはうちの母親が4歳の時だ。70年間もずっと国のトップにいた人なんて、他にいないよね…。

2012年のロンドン五輪の開会式は東京五輪とは比べものにならないほど素晴らしい出来のものだったが(というか英音楽の祭典と化した閉会式も含めてロンドン大会は五輪セレモニー史上最高だったのでは?)、その中で最も印象的だったのは映画「007」シリーズを題材にしたコミカルなパフォーマンスにエリザベス女王が登場したことだった。

ジェームズ・ボンド役のダニエル・クレイグとともにヘリコプターに乗り込み、そのヘリから飛び降りるパフォーマンスは世界中を驚嘆させた。

女王とか国王とか天皇とか呼ばれる人がこんなパフォーマンスをするなんて、まず考えられないからね…。

1969年の「女王陛下の007」はシリーズ中最も地味な作品扱いされている。
何しろ、ボンド役のジョージ・レーゼンビーはこの1作でしかボンドを演じていない。しかも、次作「ダイヤモンドは永遠に」ではボンド役を引退したはずのショーン・コネリーが復帰している。

でも、「007」の世界観には女王の君臨が必要だというのを認識させてくれたのは紛れもなく「女王陛下の007」だったと思う。

ただ、70年代になると女王への尊敬のようなものは薄れていったようにも思える。

1970年にデビューしたクイーンは、一見、そのバンド名だをを見ると、英国民に女王が親しまれていたことを象徴するエピソードにも見えるが、一説ではフレディがゲイの隠語として名付けたとも言われている。

さらに、1977年になると、セックス・ピストルズが“God Save The Queen”という楽曲をリリースしたが、これなんて、完全に労働者階級からは嫌われていることが明白になっていることを示していると思う。

さらに、1988年のハリウッド映画「裸の銃を持つ男」は女王誘拐事件を描いた作品だが、作中での女王に対する扱いを考えたりすると、この頃のエリザベス女王のイメージはかなり悪化していたことが分かると思う。

そして、長男のチャールズ皇太子とダイアナ妃が離婚した1996年、ダイアナ妃が事故死した1997年の頃は完全に悪役扱いだった。
その辺りの状況はアカデミー作品賞にノミネートされた2006年の映画「クィーン」でも描かれている。

はっきりと彼女が“みんなのおばあちゃん”として慕われるようになったのはいつからかは思い出せないが、尊敬と親近感の対象となったのはここ20年くらいの話だと思う。

まぁ、幼少時の彼女が描かれていた2010年度のアカデミー作品賞受賞作「英国王のスピーチ」や先述した2012年のロンドン五輪開会式がイメージ回復に貢献したことは間違いないと思う。
また、ここ最近は孫のヘンリー王子夫妻が“世界のおばあちゃん”を困らせる悪者扱いになっていることもあり、尚更、エリザベス女王のイメージが良くなった面もあるのではないかと思う。

それにしても、自分が生まれる前から、というか、第二次世界大戦終結から間もない50年代初頭からずっと国家元首だった人が亡くなられたわけだから、世界が変わったと言わざるを得ないよね…。

なので、安倍国葬なんてやっている場合ではないのでは?ただでさえ、各国の国家元首クラスは安倍国葬に興味がないのに、言い方は悪いが、“本物の国葬”(安倍は既に身内で葬儀をやっているのだから本物の葬儀ではないし)が執り行われる以上、もう、弔問外交の舞台は完全に英国になったわけだし、やる必要もないでしょ。というか、岸田は女王の葬儀に参列するんだよね?まさか、しないのに安倍国葬をやろうとしているのか?本当、日本の政治家どもって国際感覚が欠如しているよね。 

安倍の“本物の葬儀”は開催済みなのだし、間もなく“本物の国葬”が執り行われ、弔問外交が展開されるのだから、国葬風イベントの開催は中止でいいのでは?それとも、中抜きした連中が既に予算を使い込んでしまったから、中止はできないとか?五輪と同じだね。

それにしても、自分がおばあちゃんっ子だったせいもあるけれど、自分の祖母が他界した時のような感情がわいてくるな…。

世界中のおばあちゃんっ子もそんな気分なのかな?

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