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イニシェリン島の精霊

アカデミー賞最有力などと言われながら、今回の作品賞にノミネートされなかった作品には「RRR」、「The Woman King」、「エンパイア・オブ・ライト」、「バビロン」などといった作品があげられると思う。

インド映画の「RRR」や実話を基にした黒人女性戦士の物語「The Woman King」といった作品が外されたのは、いわゆる多様性枠の作品として、アジア系女性の活躍を描いた「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」やドイツの反戦映画「西部戦線異常なし」があるから外されたのだろうし、「エンパイア・オブ・ライト」や「バビロン」は同じ映画業界ものである「フェイブルマンズ」があるから外されたのだと思う。

まぁ、1998年度の作品賞のように候補作5本のうち第二次世界大戦の話が3本、エリザベス1世の時代の話が2本と偏った内容の作品しかノミネートされなかったこともあるけれどね…。

そんな中、順当に作品賞ノミネートを果たしたのが本作「イニシェリン島の精霊」だ。
もっとも、本作にも競合作品はあった。ただし、それは、枠組みとかジャンルではなく映画会社という視点での競合だが。

撮影賞にノミネートされただけで終わってしまった「エンパイア・オブ・ライト」も1部門にもノミネートされなかった「ザ・メニュー」もサーチライト作品だ。
ノミネートされそうな作品が複数ある場合のキャンペーンの展開方法としては、映画会社全体としてのノミネート数を増やすため、可能性のあるものはなんでもかんでもプッシュするというやり方と、確実にいけそうな作品で複数部門ノミネートを狙う方法があるが、今回、サーチライトは後者を取ったということなのかな?
もっとも、2010年度以降のアカデミー作品賞にサーチライト作品がノミネートされなかったのは16年度だけだし、しかも、この年は関連会社のフォックス2000(現在は廃止されているブランド)作品が候補になっていたので、サーチライトはかつてのミラマックスやドリームワークス、最近のNetflixといった賞レースに躍起になっている映画会社に比べれば余裕は感じられるので、「イニシェリン」に特化した賞取りキャンペーンなんてのもできるのかも知れない。つまり、「エンパイア」が撮影賞にノミネートされたのはオマケみたいな感じなのかな。

現時点ではアカデミー作品賞候補の10本のうち、作品賞に最も近いと言われているのが投票権を持つ映画人の受けがいい映画業界ものの「フェイブルマンズ」だが、その次のポジションを争っているのが娯楽枠であり、多様性枠でもある「エブエブ」と安定のサーチライト作品である本作だと思う。実際、これまでの賞レースではこの3本のうちのどれかが取るケースが目立っている。

こうした絶対的な本命作品がない時はいかにも賞レース向きのこじんまりとした作品が受賞することも多いので、そういう意味では本作の作品賞受賞の可能性は高いのではないかという気もする。

本作は今から100年前のアイルランドの離島を舞台にした作品だ。作中には北アイルランドを巡る問題でこの前までは英国が敵だと思っていたが、独立を目指すIRAなどの勢力が対立し内戦を繰り広げていることから、本来なら味方であったはずの勢力も一般市民にとっては生命を脅かす敵のような存在となっているといった台詞が出てくる。

そのことからも分かるように、本作が欧米で評価されている理由の背景にはウクライナ情勢があることは間違いないと思う。確かに侵攻したロシアは悪いけれど、ウクライナのゼレンスキー大統領が100%正義なのだろうか?欧米の指導者はゼレンスキーを支持しているが、いつまでも戦闘が収まらず、欧米諸国に軍備を要求し戦闘をエスカレートさせているゼレンスキーに対して、一般のウクライナ人はロシアと同様に迷惑な存在と思うようになっているのではないか?そんなメッセージも込められているように思えた。

ウクライナ情勢に興味のない日本人向けに言い換えると、安全保障を脅かす中国は日本にとって確かに敵と呼んでもいい存在だけれど、防衛を理由に増税する与党も、防衛目的であってもあらゆる軍備を認めようともしない野党も敵でしかないって話なのかな。

そして、国際関係にしろ、一般市民の近所付き合いや交友関係にしろ、ふとしたきっかけで友人が敵になってしまう。そして、敵になるきっかけは第三者からすれば、そんなに大した理由でないことも多い。そんなことを言いたいのだと思う。

でも、この作品、不快指数が高すぎるんだよね…。

嫌いになった奴に話しかけられたくないからって話しかけてきたら自分の指を切断するなんて意味不明だしね。しかも、その切断した指を話しかけてきた奴の家に投げ付けるとかありえないでしょ。

というか、仲違いした2人だけでなく島民も変な人ばかり。正直言って、どのキャラにも感情移入はできなかった。

一番まともなのは仲違いされた主人公の妹だけれど、彼女だって、“行き遅れ”と呼ばれる年になっているのに兄貴と二人暮らししているし、しかも、ベッドを並べて寝ているんだから、一般的な感覚からしたら全然まともではない。

まぁ、本作のマーティン・マクドナー監督は前作「スリー・ビルボード」でも善悪の曖昧さを描きキャラクターに感情移入しにくい作品に仕上げていたので、こうしたのが作風なんだとは思う。

とはいえ、親友だった人と突然、仲違いしたくなる気持ちも分かるんだよね。

この友情は永遠に続くと思っていても、30代半ば辺りからは、そうした関係ってふとしたことで崩れてしまうんだよね。
だいたい、30代半ばまでの友情というのは、居住地とか出身校などロケーション的なコミュニティが同じという理由で友達になることが多い。
でも、30代半ば辺りになると、結婚しているか否か、子どもがいるか否か、どのような仕事をしているか、収入はどれくらいあるかなどのロケーション以外の属性で考え方ががらっと変わってしまう。

自営業をやっている連中だと、仕事で付き合いがあるのが中小企業の経営者が中心になるから、どうしてもパワハラ思考やネトウヨ思想が高まってしまう。でも、自分は比較的、自由な思想を持てる職種に就いているから、どうしても、パワハラ野郎や老害ネトウヨと化した連中とは話が合わなくなってしまう。こちらが体調不良の時に、“自分は鍛えているので何年も風邪をひいていません”なんて言ってくる奴とは、とてもではないが友達付き合いなんてできないしね。

自ら指を切断して主人公と絶交した元・親友は作中では“話がつまらない”=時間の無駄のようなことを付き合いをやめた理由として語っていたが、おそらく、主人公が無意識のうちに彼を怒らせることを言っていたのではないかと思ってしまった。

ところで、本作はゴールデン・グローブ賞のコメディ・ミュージカル部門で作品賞を受賞したけれど、これってコメディなのか?

全く笑えないというわけではないが、時々、クスッとするくらいだし、どう笑っていいのか分からないブラックな描写も多いしね。まぁ、ブラック・コメディもコメディには違いないが…。
欧米人と日本人では笑えるポイントが違うというのもあるとはいえ、何か釈然としない面はある。

もっとも、ドラマ部門かコメディ・ミュージカル部門か、どちらのカテゴリーでエントリーするかは運営側ではなく映画会社側の申告で決められているということなので、ドラマ部門向きの作品がコメディ・ミュージカル部門にノミネートされることはよくある。一般的にコメディ・ミュージカルの方が賞レースで評価されるタイプの作品が少ないから、こちらでエントリーした方が受賞・ノミネートに有利という判断なんだと思う。

勿論、逆のパターンもある。今回のゴールデン・グローブ賞のドラマ部門には「エルヴィス」がノミネートされていたけれど、これはエルヴィス・プレスリーの伝記映画だし、パフォーマンスのシーンも度々出てくるんだから、どう考えてもカテゴリー的にはミュージカルのはずだしね。

そんなわけで、本作は好きにはなれない作品ではあったが、賞レース向きの作品だとは思うので、アカデミー作品賞を獲得する可能性はそれなりにはあるのではないかと思う。

《追記》
“いい人”って結局、利用価値がないと判断されればいいように切り捨てられるって話でもある。まぁ、思い当たるフシは結構あるね…。

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