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思ったほどBLM映画ではなかった「ドリームプラン」

ウィル・スミスが出ている映画を見るのって久しぶりだなと思っていたが、よく考えたらここ数年間はコンスタントに映画に出演していて、カメオ出演や声の出演の作品を除くと、日本でもきちんと劇場公開されていたようだ。
というか、日本で劇場公開されたここ最近の作品は全て劇場で見ていた。

コロナ前の2019年は「アラジン」と「ジェミニマン」。コロナという言葉はまだ使われていなかったものの、中国で謎のウイルスが蔓延しているらしいという情報が入りつつあった2020年初頭には「バッドボーイズ フォー・ライフ」が公開されている。

つまり、コロナ禍になってから初の新作が本作ということになる。
コロナ禍になって、ハリウッド情報が入手しにくくなったというか、日本でさらに洋画不況が悪化したため、ハリウッド・スターの存在感がなくなっていたので、そんな印象になってしまったのだろう。

実際にウィル・スミスがスクリーンから遠ざかっていた時期が2010年代後半にあったので、そのイメージが強かったのかな?
この時は2016年末(日本公開は年が明けてから)に「素晴らしきかな、人生」が公開された後、配信映画やカメオ出演を除くと、2019年初夏公開の「アラジン」までの約2年半、新作がなかったから、その不在期間のインパクトを引きずっていたのかも知れない。

まぁ、本作だってウィル・スミス主演でなければ日本では劇場公開されなかった可能性はあったと思うけれどね。大坂なおみの父親の話だったら、日本でも公開されるだろうけれど、ウィリアムズ姉妹の父親の話だけでは、せいぜい、ミニシアター公開がいいところだよね。
ましてや、全米オープン決勝でセリーナ・ウィリアムズが、さらには、セリーナを支持する米黒人が、同じ黒人であるはずの大坂をアジア系ということで、明らかに見下した態度を取ったことから、日本人の間では、ウィリアムズ姉妹の印象は悪くなったしね。
というか、ウィリアムズ姉妹が台頭するようになり、いつも、姉妹が優勝争いをするようになってから、女子テニスがつまらなくなったと思っているテニスファンが日本には結構いるから、ウィリアムズ姉妹に関した映画というだけでは日本では当たらないと思うしね。

また、アカデミー賞など賞レースを賑わせる作品になっているというだけでも公開されない可能性はあったと思う。
同じワーナー映画で、同じく実話もので、これまた同じく黒人差別問題を描いた作品である「ユダ&ブラック・メシア 裏切りの代償」は前回のアカデミー賞で作品賞にノミネートされ、最終的には助演男優賞と歌曲賞の2部門で受賞を果たしたが、日本では劇場公開されなかった。

ディズニーは拡大公開では当たらない黒人差別問題を扱った映画でも、「サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)」のように、ミニシアター公開したりするが、ワーナーはミニシアター展開にはあまり興味がないから、この手の社会派映画はアカデミー作品賞にノミネートされても、劇場未公開になってしまうんだよね。

アカデミー作品賞のノミネート枠が拡大された2009年度以降、日本で劇場未公開となった作品賞ノミネート作品は全部で3本ある(授賞式開催時点では配信オンリーだったが、その後、劇場公開された「ROMA/ローマ」と「サウンド・オブ・メタル -聞こえるということ-」を除く)。

上記の「ユダ&ブラック・メシア 裏切りの代償」以外では、2016年度の候補作品である「フェンス」と「最後の追跡」がそれに該当するが、「最後の追跡」は日本ではNetflixの独占配信作品となったため(作品賞ノミネート発表時点で配信済み)、公開が見送られた作品だ。

となると、アカデミー作品賞にノミネートされたのに日本で劇場公開されなかったのは、「ユダ&ブラック・メシア 裏切りの代償」と「フェンス」だけということになる。どちらも黒人差別問題を扱った作品だ。

それは、日本では洋画好きの人ですら、黒人差別問題を扱った映画には興味がないということをあらわしているんだと思う。
正直言って、自分もこの手の作品にはうんざりしている。理由は米黒人は“自分たちは差別されている”と主張しながら、白人やヒスパニックよりもアジア系米国人やアジア人を差別しているからだ。

また、警官の暴力によって黒人が死傷したと騒ぐが、死傷した黒人の多くは、程度の差こそあれ、犯罪や問題行為、不審な行動をしていた者だ。それなのに被害者ぶるのはおかしいだろうと言いたい。
海外の社会情勢に興味を持つ洋画ファンですら、米黒人の主張には矛盾を感じているから、こうした黒人差別問題を扱った映画が日本では受け入れられないのだと思う。

「フェンス」と同じ2016年度の作品賞候補となった「Hidden Fiiures」も実話を基にした黒人差別問題を扱った作品で、この作品も劇場公開を見送られる可能性があった。
そして、やっと、日本公開が決まったと思ったら、「ドリーム 私たちのアポロ計画」というワケの分からない邦題にされてしまった。作品で描かれているのは、アポロ計画ではなくマーキュリー計画であるにもかかわらずだ。
当然、映画ファンは勿論、NASAファンや天文ファンからもクレームが殺到した。その結果、意味不明なサブタイトルは外され、「ドリーム」という邦題で公開されることになったが、これもなかなか酷いタイトルだ。

原題の「Hidden Fiiures」は“隠された存在”という意味だ。NASAの一大プロジェクトを支えたのは、黒人、しかも女性だった。でも、そのために彼女たちの功績は当時、表立って評価されることはなかったということをあらわしている。
それを、ただの“夢”にしてしまったんだからね。主要女性登場人物が3人いるんだから、せめて、“ドリームス”と複数形にするならまだしも、ただの「ドリーム」だからね…。

そして、本作にも「ドリームプラン」という「ドリーム」と似たような酷い邦題がつけられている。原題は「King Richard」だ。

リチャードというのは、ウィリアムズ姉妹の父親の名前であるが、それに“王”という“敬称”がつけられているのは、その勇猛さから獅子心王と呼ばれたイングランドのリチャード王(リチャード1世)と重ねていることは明らかだ。

それを陳腐な「ドリームプラン」という邦題にしてしまうんだからね。
せめて、獅子心王にちなんで「ライオンハート」とかいう邦題にするなら分かるけれどね。

結局、黒人差別問題ものは当たらないから少しでも、感動映画っぽいイメージを持ってもらいやすい邦題にしているんだろうが、なんだかなという気もするな…。

そういえば、ワーナーのアカデミー作品賞候補作のクソ邦題といえば、「ゼロ・グラビティ」も忘れられないよね。
原題は「Gravity」と丸っきり逆のことを言っているのにね。地球へ帰還する感動的なラスト・シーンを見れば、誰でもタイトルに“ゼロ”が不要であることは分かるからね。

勿論、昔の映画だって、原題とかけ離れた邦題はたくさんあるし、ヒット作や似たテーマの作品に便乗した邦題だってたくさんある。
1982年の「愛と青春の旅だち」なんて原題を直訳すれば“士官と紳士”だし、この頃、「愛と哀しみのボレロ」とか、「愛と追憶の日々」とか、「愛と哀しみの果て」みたいに、“愛と○○の××”といった邦題が多かったけれど、作品の雰囲気はきちんと表現していたんだよね。

でも、「ドリーム」や「ドリームプラン」というタイトルじゃ、何を題材にしているかは分からないよね。いくら、「ドリームプラン」がリチャードの計画書から来ているとはいえね。
似たような邦題でも、「愛と青春の旅だち」なら青春映画だと、「愛と哀しみのボレロ」ならラヴェル作曲の“ボレロ”が重要な意味を持つ作品だというのは分かるからね。

まぁ、ウィル・スミス主演のヒューマン・ドラマ系の作品って、本作に限らず微妙な邦題が付けられること多いけれどね。「幸せのちから」とか、「素晴らしきかな、人生」とかね。日本ではウィル・スミスというと、SFやアクションのイメージが強いから、泣ける映画アピールの邦題でライト層の観客を呼び込もうとしているんだろうけれどね。

実際に本作を見て思ったことを記しておこう。

ロドニー・キング事件を伝えるニュース映像とかが挟まれてはいるけれど、言われているほど黒人差別問題を扱った作品ではなかった。

“テニスをするのには金がかかるから白人だって簡単にできるものではない”と登場人物が言っているように、別に黒人だからテニスの道が閉ざされているという話ではない。

また、黒人コミュニティの間でも、ウィリアムズ一家を快く思っていない人が多いという描写もあることから、決して白人と黒人の対立を描いた作品でもない。

そもそも、リチャードが自分を決めたプランを意地でも通そうとするから、周囲との間に軋轢が生じているだけだ。

これって、典型的な劣等感丸出しの“田舎者”って感じだよね。地方出身者って、幼少時・思春期にやろうと思ったことが親や周囲の反対で何もできなかったことに対する反動なのかどうかは知らないけれど、やたらと計画を立てて、その計画通りに進めないと気が済まない人って多いよね。

地方出身で都市部にやってきた新興住民の親って本当、こういうのが多い。
天気が悪くても、一度、家族で食事に行くと決めたら実行しなくては気が済まないとか、一度、一日○時間は外で運動しなくてはいけないと決めたら、コロナの感染が拡大していても、毎日、公園で子どもに運動させないと気が済まない親って多いからね。
リチャードもそういうタイプなんだろうね。たまたま、うまくいって、娘2人が揃ってテニスの歴史に名を残す存在になったけれど、普通はああいう人は単なる迷惑な輩でしかないよね。

というか、バナナラマ、Mr.ミスター、ストーン・テンプル・パイロッツ、グリーン・デイなどといったアーティストのヒット曲をBGMとして使っているくらいだから、全然、Black Lives Matterを前面に押し出している映画だとは思えないけれどね。

ところで、劇中で姉妹たちが“The Greatest Love of All”を歌うシーンがあるが、姉妹の年齢を考えれば、ホイットニー・ヒューストンのバージョンを歌っているということなんだろうけれど、もしかすると、この曲のオリジナル・アーティストであるジョージ・ベンソンのバージョンがモハメド・アリの自伝映画「アリ/ザ・グレーテスト」の主題歌で、後にそのアリの伝記映画「ALI アリ」の主演を本作の主演であるウィル・スミスが務めたということを意識したメタ的な要素も含まれていたりするのかな?

あと、ビーナスが試合には敗れたけれどもテニスファンには支持されたみたいな感じの終わり方になっていたけれど、それって、良く言えば、「ロッキー」の1作目、悪く言えば、打ち切られた少年ジャンプ連載漫画の最終回の“私たちの闘いはまだまだ続く”だよね。

《追記》
字幕で“自撮り”と出てきたけれど、ウィリアムズ姉妹の少女時代の話ということは、スマホなんて世に出ていないし、一般人のほとんどは携帯すら持っていない時代なんだから、この訳し方はないんじゃないかなって思った。

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