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【論文レビュー】ホール自らが語るプロティアン・キャリアの回顧録!?:Hall(2004)

日本のビジネスパーソンにとって有名なキャリアに関する概念の一つにプロティアン・キャリアがあります。1976年に提唱されたものなので少々年月が経っているのですが、提唱者であるダグラス・ホール自身がその後の調査や概念の受容について回顧的に述べている論文があります。先日の中原研で紹介した内容の一部について、ざっくり書いてみます。

Hall, D. T. (2004). The protean career- A quarter-century journey. Journal of vocational behavior, 65(1), 1-13.

被引用数が非常に多い論文でありながら、論文にしてはとても珍しい散文的なスタイルです。キャリア論のグルとも呼ばれる著名な人物がこれだけ自由な論文を書くのであれば、わりと自由に書いてみてもいいのかもしれません。

両親からの影響

プロティアン・キャリアに影響を与えたのは彼の両親の生き方であり働き方である、とホール自身が述べています。父親は、ワーカホリック気味に働いていたのに自身が乗っていたかもしれない飛行機が墜落して全員が亡くなるという事故の後で、自宅の近くで自営業を営むというキャリア・チェンジをしたことが挙げられています。また母親は、結婚前からの仕事である看護師を出産・子育てを経ながらも継続し、自身の専門性に誇りを持って働いていることが描かれています。

こうした背景をもとに、両親から受けたプロティアン・キャリアの考え方のポイントを四つ挙げています。

  1. 仕事は、個人のアイデンティティを形成する重要な要素である。

  2. 何をするかは、自身が主体的に選択することであり、自由と責任をもって行動する。

  3. 自分を改革し、家族の優先順位を軸に仕事やキャリアを再構築することができる。

  4. 重要なのは主観的な成功であり、自分の人生と仕事にどれだけ満足しているかであって、必ずしもお金や権力や名声がどれだけあるかということではない。

プロティアン・キャリアが受容された背景

1976年に提唱されたプロティアン・キャリアが、その後の時代において徐々に受容されるようになった背景についてホールは述べています。第一に経済環境が挙げられており、第二次石油ショック以降の1980年代に、リストラクチャリングダウンサイジングが日常的なこととなり、個人にとってキャリアが不安定になったことがあります。

第二に、雇用契約の短期化が挙げられています。経済環境が不安定かつ変化に富んだものになったために、企業が個人との雇用契約を短期的かつトランザクショナルなものと捉えるようになったために、個人は企業にキャリア権を委ねるのではなく自らが責任を持って開発することが求められるようになりました。こうした背景から、プロティアン・キャリアが受容されたとホールは捉えているようです。

社会に対する貢献の意識

プロティアン・キャリアは、個人の個人によるキャリア開発という個を意識した考え方という印象が強いものです。しかし、ホールは社会を意識したものとして捉えるべきだとしています。

というのも、本論文が出る直前にエンロンやワールドコムでのコンプライアンス逸脱事象があったためです。こうした事件を意識して、プロティアン・キャリアという個人によるキャリア開発には、利己的な意図ではなく社会への貢献といった意図が必要であるとホールは主張しているようです。

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