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【論文レビュー】似て非なる二つの構成主義〜心理的構成主義と社会構成主義とでは何が異なるのか?〜:中村(2007)

本論文では、構成主義(constructivism)を「知識はいつも人が構成するものである」(p.167)という意味合いで用いています。その上で、この構成主義を心理的構成主義(psychological constructivism)と社会構成主義(social constructivism)とに分けて捉え、両者を比較しながらそれぞれを学習論の中に位置付けて解説してくれています。

中村恵子. (2007). 構成主義における学びの理論- 心理学的構成主義と社会的構成主義を比較して. 新潟青陵大学紀要, 7(7), 167-176.

構成主義

心理的構成主義と社会構成主義の双方に共通する構成主義という認識論のルーツはカントにあります。カントは、「事実は内部にある」というデカルトの合理主義と、「事実は外部に存在する」というロックの経験主義とによる主体と客体の二元論を統合したと評価されている哲学者です。

カントによる構成主義を基に、ピアジェが心理的構成主義として発展させ、ウィトゲンシュタインによる言語論的展開を経てデューイ、ヴィゴツキー、ガーゲンが社会構成主義へと発展させていった、というのが大まかな構成主義をめぐる流れです。

3年半ほど前に社会構成主義について素人なりに大学院でまとめたことがあります。その際は、デカルトに対するカント、カントを受けてウィトゲンシュタイン、そこからバーガー+ルックマンからガーゲンへと展開しているので、心理構成主義と対比する意味での社会構成主義への流れとしてはまとめられていたようです。(というか本論文を読んでクリアに理解できるようになりました。笑)

心理的構成主義

カントの観念論を受け継いでいるのがピアジェ心理的構成主義です。なお、本論文では心理「学」的構成主義としていますが、他の私のnoteとの整合を図るために心理的構成主義と記載していること、ご承知おきください。

心理学的構成主義において、人間の知識は、経験から切り離された外界の現実を表したものではないし、外界の現実の忠実なコピーでもありえない。知識の再構成は、一連の絶え間ない内的な構成である。

p.170

内界と外界との相互作用を前提にするのが構成主義です。心理的構成主義においても、内界によって外界における知識を再構成し続けるという認識をとります。

心理学的構成主義において、学ぶことは、主体の環境における混乱に対する同化と調節の過程である。

p.171

その際に認識する主体が主観的に外界を構成する、というように個人の主観に重きが置かれるのが心理的構成主義の特徴です。この点は後で扱う社会構成主義と対比しながら捉えるとわかりやすいでしょう。

社会構成主義

なお、本論文では社会「的」構成主義と記載されていますが、心理的構成主義と同様に引用箇所以外では「的」を除いた表記としております。

社会的構成主義において、私たちの信念と実践は、私たちの共同体への参加に基づいている。人間の行為の意味は、言語の中で表現される。言語は私的なものではなく、分かち合うものである。したがって、意味は主観的ではなく、間主観的である。

o,171

心理的構成主義では個人の主観によって意味を構成すると捉えているのに対して、社会構成主義では社会や共同体における個人が間主観的に意味を構成すると捉えます。個人は社会や共同体と共にあり、その中で言葉を通じて位置付けられるということですね。

ここまでの両者の比較を著者がまとめてくれているのが以下です。これはなかなか素晴らしいまとめです。

p.172

折々読み返す、ありがたい比較表になりそうです。

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