見出し画像

境界と新しい壁 [12/5〜12/11の日記]

師走が師走ってきました。
それでは今週の週報。

12/5(土)

頭のネジが緩み切ったような1日。夕方じっくりジョギング。

12/6(日)

画像1

朝自転車で代官山蔦屋に。都内は坂が多いことを思い知る。なかなかの洗礼だ。片道7キロくらい。いい運動になった。

朝食はIVY PLACE。接客してくれたベテランの方の肩の抜け具合がとても心地よかった。ああいう接客における雑談力みたいなものは一朝一夕ではできない。僕ら以外に接客するときは微妙にニュアンスを変えているのを見て実感した。

個人的には、朝だし、ほどよく解けた会話の方が気が楽でいい。

蔦屋に来る度に思うのは、ネットでふだん接している情報がいかに狭いかということで。

ネットはひとつの断片を焼き増しのように増やし続けているだけで、深く広く、且つフラットに見せてくれるのは「横並び」で陳列された本屋なんだなと、改めて本屋のありがたみを感じた。その果てのなさは、「知っていること」を前提とされた暮らしの中でひとつの救いにすらなる(あくまで個人的な感覚だけど)。

自宅に戻りキリンビールサロンに参加。

画像2

メンバーが時間をかけて挑戦した今回のオンラインのみのサロン。オンラインだと熱量が伝わらないかも、という不安を見事に払拭した会だった。

多くのオンラインのイベントに参加してきたけれど、あれほどのグルーブ感は味わったことがなかった。素晴らしい場を作り上げたメンバーには頭が下がる思いだし、この活動は必ずや継続させなくてはと改めて思った。

12/7(月)

夜はとあるメディアの方と会食。

世の中的に成功されたとされる人のほとんどは一度は大きく失敗しその場を「降りている」というような話だった。成功とは、飽きることなく失敗を繰り返すことそのものなのかもしれないなどとぼんやりした頭で思った。

12/8(火)

年内最後の取材。あたたかいメンバーで締めることができてよかった。

取材後はカフェで少し話した。お酒の席の会話もいいけど、カフェでじっくりコーヒー片手にまだ言語化できないようなモヤっとしたものを交換するのはいいものだ。メンバーがよかったというのはあるのだろうけど。

「境界を溶かす」という言葉が出てきて、反面「分断」という言葉を今年ほど聞いたことはなかったよね、という話にもなった。

境界を溶かすことは、表向きには美しいのだけれど、人間はひょっとしたらテリトリーに執着する本能があって、境界を溶かす度に新しい壁をせっせと積み上げていくのかもね、というような話をした。


12/9(水)

タスクが消化されず積み上がっていく毎日。師走だけの現象だと思いたい。

夜はオウンドメディアの会(オンライン)。この会ももう4回目か。今回はこじんまりとした人数で、それはそれで話を深堀りできてよかった。そのオウンドは「人格」なのか「人柄」を伝えるものなのか。最近の個人的なテーマを話せてよかった。

この週報を通じて、僕が今考えていることの一端を切り取って書けるのは、僕個人としては頭の整理としてはいいのだけど、最近はもう一歩先にいきたいと思い始めていて。

フォロワーを増やすことや多くの人に自分の言葉を広めたいという欲は今はまったくなくて(だから推敲もしていないこの週報を続けられているのだけど)、僕の言葉になにかしら感じるものがある人と、「今とこれから」について言葉を交わしてみたい思いの方が強くなってきている。

そのためにはこの週報で伝えている情報の粒度も強度も上げていく必要があるのだけれど、粒度や強度があがるほど、見ず知らずの人が過敏に反応する可能性も高くなる。

それはそれで求めていることではないから、来年は有料化しようかとも思っている。まだ確定ではないけれど。大体コーヒー1杯分くらいの料金でやってみたい。


12/10(木)

今月も眼鏡屋さんのコラムを公開できた。

今年は新しい脅威との闘いの1年だったように思う。その脅威は、人とのつながりを現実的にも精神的にも薄めては、身体の中にある「人のエネルギー」のようなものを今もなお、削ぎ続けている。

それでも、いや、だからこそ、僕らが生きていくには「伝手」が必要だということに、意識的にも無意識的にも気付けた1年であった気もするのだ。それはふだんの暮らしの中にいくつも息づきながらあたたかい毛布のように心地よく自身を包んでいてくれることを教えてくれている。

「居心地が良い」というのはもしかしたら、大きな伝手や小さな伝手、さまざまな伝手の上で安心して寝転がって過ごすような時間のことなのかもしれない。

3年目の社員と打ち合わせをして、雑談がてらその世代のお酒の付き合い方や働き方について聞いてたら、思った以上に「社会」に目を向けてることがわかった。彼らが(という世代論は好きではないけれど)仕事に求めているのは、「手触り」であって「数字」ではないということ。でも数字を出さないと「続けられない」というジレンマを抱えていることもわかった。

僕が感じてる「今」の世の中の違和感も合致してほっとした。もしかしたら僕の役割のひとつは、その世代の声をもっと拾って届けることかも、などと思った。

それはそれてとして、近くの豆腐屋さんで買ったドーナツがほんとに美味しかった。

画像3

12/11(金)

ひたすら机にかじりついて1日が終わった。タスクが減らない。

ありがとうございます。 サポートって言葉、良いですね。応援でもあって救済でもある。いただいたサポートは、誰かを引き立てたたり護ったりすることにつながるモノ・コトに費やしていきます。そしてまたnoteでそのことについて書いていければと。