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シンボル [10/3〜10/9の日記]

ブタクサが本気を出してきました。
それでは今週の週報。

10/3(土)

今年結婚した友人と、そのパートナーさんでご飯を。

結婚の決め手ってなんだろう。と静かに話すふたりを眺めながら考えていた。

似ているところと似ていないところ。一緒にいてその2点の「座りがいい人」なのかもしれない。途中から(焼酎が美味しくて)あまり憶えていないけど、とりあえずそう結論づける。

それはそれとして、こうしてパートナーを紹介してもらえるのは嬉しい。コーヒーまでご馳走になった。ホクホクした気持ちで帰る。

いい夜だった。お幸せに。

10/4(日)

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軽い二日酔いを引きずり、のんびり本を読んで過ごす。

10/5(月)

録画した『LOVE MUSIC』を観る。

あいみょんと小沢健二の対談。観ていてとても気持ちが良かった。世代を超えてキラキラして憧れあえるとか最高じゃないか。

1995年に小沢健二が歌っていた「東京タワー」が、2020年にあいみょんが「北千住」で引き継いでいるような、そんな流れを見て、この25年間の日本の変化を目の当たりにした気分になった。

空から地へ。
憧れから繋がりへ。
シンボルは変遷する。

世代で話が噛み合わなくなるのは、実はそれぞれの人の中にある「シンボル」が違うからなんじゃないか?そんなことを思った。

10/6(火)

数ヶ月仕込んでた記事が公開された。

社内の声を聞き、世の中の声を聞き、発信する場所の空気を読んでコンテンツを作る。ざっくり言えばオウンドのやるべきことはそうゆうことなのだけど、「社内の声」を声たらしめるまで辛抱強く「聞き続ける」のが実は一番大変な仕事。

これ以上は書かないけど、今日出した記事はなかなか大変だった。でも、とても有意義な気付きでもあった。

あぁ、こうゆうことを有料noteで書けばいいのか。

夜は「発信」を仕事にしている人とオンラインで話した。15人くらいが参加してくれた。今後ゆるやかなコミュニティになっていくような気がした。

もっと深い話はテキストベースでじっくり会話したいと思った。メルマガくらいの分量で。

距離と時間をちゃんと取った上で会話したいテーマというものがある。そのひとつが僕にとっては仕事だ。

あぁ、こうゆうことを有料noteで書けばいいのか(2回目)。

10/7(水)

今日も思い入れのある記事を一本出した。さらにはコンテストの結果発表もした。

4,000件もの思いの詰まった作品の中から5件に絞るというのは、こちらも胃が痛くなる仕事だ。結果発表でどんな声が来るのかいつも不安になる。

受賞者の喜びの声は嬉しいのだけど、そこに舞い上がってしまうと選ぶことができなかった方に申し訳ないような気持ちにもなる。

作品の多くは、その方の内奥を絞り出した生々しい声であって、本来そこに優劣はない。ないのだけど、建前として「選ばなくてはいけない」というのが、やはりまだ慣れない。

いざ発表して、しばらくタイムラインを眺めていたら、選考から漏れた方々の「いい機会だった」というような声を見て、ようやくコンテストが終われたような気持ちになった

応募してくれた皆さん、ありがとうございました。

10/8(木)

この日も力を入れていた企画がスタートした。今週は公開ラッシュだ。

記事が公開されれば、どれだけ反応が出ているのか、逐一(それこそ30分に一度くらい)Twitterを眺めたり解析ツールを睨んだりしている。そんなことをし続けるから記事公開日はほとんど仕事にならない。

「メディアをやる」ということは、そうゆうことなのだ。ひとつひとつ発信の反応にいちいち右往左往しながら、誰かの「よい記憶」になってほしいと思い続けることだ。僕の場合は。

記事が出る度に胃は痛くなるし溜め息は出る。でもこんなことをやり続けているのは、そこに至るまでの工程でいろんな人の声を聞くことで、僕の中にたくさんの「蓄積」が作れるからなんだと思う。たぶん。だからやめられない。

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ほぼ毎月頼んでいるSHOZO COFFEE からおやつが届く。こちらもやめられない。

10/9(金)

気圧のせいかずっとぼんやりしていた。頭痛もする。こうゆう日もある。

1週間お疲れ様でした。

ありがとうございます。 サポートって言葉、良いですね。応援でもあって救済でもある。いただいたサポートは、誰かを引き立てたたり護ったりすることにつながるモノ・コトに費やしていきます。そしてまたnoteでそのことについて書いていければと。