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器用貧乏 [9/19〜9/25の日記]

寒さで起きる朝になりました。
それでは今週の週報です。

9/19(土)

4連休初日。近所でやっている「安野モヨコ展」へ。

あまり作品を知らなかったのだけど、この方の描く女性の眼の力が強い。「絶対に負けるもんか」「生き残ってやる」という野性的な強さを感じる。

その強さに少したじろぐ。思わず目を逸らしたくなる。なんなら頭痛すらした。

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『働きマン』をKindleで買って読む。描かれた時代は、前世代と新しい世代の「溝」、相変わらずの女性への「視線」、ブラックな働き方など、今少しずつ好転している世の中の「部分」の転換点だった。

だからか。と腹落ちした。

拳を挙げなくてはいけない時がある。闘わなくてはいけない時がある。それを引き受けてしまう人がいる。そんな時に優しい眼になんかなれる訳がない。

あの「強い眼」は、変わろうとする意志だった。そして「あなたも闘うんだよ」というアジテーションでもあった。

9/20(日)

父親の墓参りがてら実家へ。

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9/21(月)

滑り込みで「㊙︎展」へ。

陳列されたクリエイターの思考の一端を顕す大量のメモやデッサン。そんな「アウトプットの道程」を目の当たりにしても、彼らの思考回路がわかるわけないけれど、どんな人でも、うねった道の先に答えを見出してるんだなということはわかる。

まっすぐに出る「答え」なんて存在しないんだと安心するとともに、こうして内奥と向き合い続ける「体力」そのものが才能なんだと改めて思った。

安直にその辺に転がった言葉を並べて知ったかぶって「正解」を繰り出すことは、一時の気持ち良さしか得られない。長期的に見れば「不正解」だ。観れて良かった。

「思考」と「書く」ことは結びつきやすいんだと合点もした。この間久々に紙とペンでこれからの構想などをメモしてたら、カチッと歯車が合う気がして気持ちが良かったをもっと手を動かして思考を研いでいきたい。

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9/22(火)

酵素風呂なるものに。興味本位で付いて行ったけど思いの外いい「刺激」になった。帰ってきたら眠気が襲ってきて転寝。サウナの後のような心地よい疲労感。

1年履き倒したニューバランスがそろそろかわいそうなくらいくたびれてきたので、新しい街歩きの伴侶を探すべく原宿のニューバランスショップへ。

良いものがあるかドキドキしながら(先日シューズショップを行脚してもいい出会いがなかった)エスカレーターを上がってメンズコーナーの棚に行けば、Instagramで見かけて気になってたシューズがあったので思わず駆け寄って手に取る。

たぶんニヤニヤしていたのだろう、店員さんがすぐに声をかけてくれる。

そこからが早かった。靴のサイズを聞かれて「たぶん28」と答えれば、じゃあ計測しちゃいましょうと「3D計測コーナー」へ。

サイズが分かったらすぐに試着に。丁寧過ぎるくらいの履かせっぷり。もうここでテンションマックスで「良いです。買います」と答えていた。

その後も雑談がてら「今履いてるシューズがくたびれてて」と言えば、シューズクリーナーを薦めてくれる(もちろん購入)。

そこからレジに行ってスムーズな会員登録から5%オフ。

一連のフローは天性のものというより鍛え上げられた強度のある「ルーティン」だった。でもそうゆうのは気持ちがいい。ここにもプロの仕事があった。

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ホクホクした気分のままお誘いいただいたイベントに。工夫された催しものの数々を体験して思ったのは、コロナのせいでできなかったことも数え切れないこともあるけど、コロナがなければ生まれなかった出会いとか思いつきなんかもあるということ。

楽しい会だった。モクテルおいしかったしワインもおいしかった。

9/23(水)

連休明けは大抵バタつく。

9/24(木)

note proのオンライントークイベントで講演をした。直前にファシリの方が「緊張する」と言っていた。その言葉に少しの安心とありがたさをおぼえる。

なぜなら緊張は「準備をしてきた」証拠だから。数え切れないほどの「前に出る」を繰り返してわかるのは、準備するほど緊張していたということ。だから緊張するのは「成功させたい」という意思の顕れであり、とても良いことなのだと思っている。

とは言え、緊張は時にパフォーマンスを下げることもある。こればかりは経験を積んでもどうにもならないことでもある。なんとも難しい。

9/25(金)

AMは、最近知り合うことができた同業界同業種の方々との情報交換会。密度の高い話ができた。対面で話したいなぁ。

午後はとある会合へ。とても素晴らしい書き手さんの話を聞いた。

皆さんの話を聞いて思ったのは、それぞれ独自の「解釈方法」を持っているということ。それはつまり自分自身の「物差し」を持っているということであり、モノを見る「目」を他人任せにしないということでもある。だから言葉にオリジナリティが宿り、人を惹きつけるのだ。

僕はそうゆう人を見ると「強い」と思ってしまう。僕にとってその「オリジナリティ」こそコンプレックスだから。

そんな高揚感とも敗北感とも言えぬ感情を抱えたまま会合を終えて、仕事のパートナーと近くのカフェに立ち寄り、先程の会合で目の当たりにした景色についてポツポツと話す。

「たぶん平山さんは器用過ぎるんですよ」と言われた。ああと思い至る。子どもの頃からそうだ。器用貧乏なところが取り柄であり自分の嫌な部分でもあった。

人は変わらない。それが今週の結論だ。

ありがとうございます。 サポートって言葉、良いですね。応援でもあって救済でもある。いただいたサポートは、誰かを引き立てたたり護ったりすることにつながるモノ・コトに費やしていきます。そしてまたnoteでそのことについて書いていければと。