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未来を花束にして~過激な環境活動家の行動に思うこと~

最近ニュースでよく見聞きする、欧州の環境活動家グループによる過激な行動。幹線道路で座り込んだり、航空機の離発着を妨害したり、噴水の水を黒く染めたり…彼らは政府の温暖化対策を不十分だと主張し、人目をひく活動を行っている。

彼らの行動に対して「そんなことをしても解決にはならない」「過激すぎる」と思う人が大半なのだろうと思う。

私自身、彼らの行動が正しいのか?と問われれば、答えはNOである。

ただ、私は少し違った考えが芽生える。
環境問題が深刻化する昨今、私は未来を生きる子ども達に同じ環境を残してあげたい、と心から望むことが出来ているのだろうか?と。

こんな風に思ったのは「未来を花束にして」という映画を見たから。

この「未来を花束にして」という映画は1910年代、イギリスのロンドンで女性の参政権を求めて戦った女性たちの話。デモに参加するも大勢の女性が警察官に暴力を振われ、逮捕される時代。しかし、洋品店のショーウィンドウに石を投げたり、建物(だったかな?)を爆発させたり、ハンガーストライキを行ったり、死を選択したり…必死に世間・社会や世界からの注目をひこうと活動していた女性活動家達。当時は「過激だ!」「無意味だ!」「建設的でない行動」と批判されていたに違いない。

この映画を見ると、誰しもが過去に戦った人たち、犠牲になった人たちがいるからこそ、今の「当たり前」に感謝できるのではないかと思う。そして今もなお得られていない「当たり前」が、私たちの未来に「当たり前」になる社会を望んでいる。時に人間は過激と言われるまでの行動を取らなければ、社会から簡単に見過ごされてしまう!と思うものなのだと感じた。

子ども達の未来から見て、「あの時の先人が頑張ってくれたから今の地球があるのだ」と感謝されるように、過激な環境活動家の行動を見て、行動を批判するだけではなく、関心を寄せていかなければならないのだと思う。

たからばこ、

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