散歩_20190409_190606_0022

自分を責めそうになった時の「一回休み」のすすめ

できないことが、できるようになること。
ちょっと背伸びをしないと越えられない壁を、ぐっと越えられること。
そういう瞬間は、心地よい。成長した自分が誇らしく、また頑張っていこうと鼓舞できる。

その一方で、なかなかできるようにならないこともたくさんあって。
どれだけ時間をかけても、試行錯誤しても、その壁の終わりさえ見えてこない。
そういう時についつい自責しがちな、わたしへの処方箋。

できないのは、つらい

できるようになりたいことができないのは、つらい。
できるようにならなければならないことができないのも、つらい。
できないものをできるようになるまで続けるのも、できないんだなと受け入れるのも、つらい。

諦めたくなる。でもやっぱり根底ではできるようになりたい。だから頑張る。でもできない。苦しい。もがいてもがいて、どんどん酸素が薄くなっていく。

もがいた末に、解決できるならまだいいのかもしれない。
でも、やっぱりできないことってある。技術が足りないのか、タイミングが違うのか、熱量が不足しているのか、周りの人がすごいのか、才能がないのか。
できない要因をいろいろ考えても、結局は自分に帰結する。自分の何かが原因で、できない。

自責する。「どうしてできないんだ、みんなできているのに」と厳しい言葉を投げてくる誰かがいる。「それでも頑張ってるんだよ」と声のしたほうを見ると、それが自分であることに気づく。

そういう時、わたしはすごろくで言う「一回休み」のコマに止まったんだと思うことにしている。

「一回休み」くらいがちょうどいい

以前からわたしは「自分は休むのが下手だ」と自覚していて、だから積極的に休みを取るようにしてきた。

でも、どうしても考えてしまう。
今日はスクールはうまくいっているだろうか。締め切りの近いものがあったな。あの人は今日はしんどい思いをしていないだろうか。

身体は休んでいるのに、心が一切休まらない。これでは、いくら休みを取っても、心はどんどんすり減ってしまう。

こんなわたしには、「一回休み」くらいがちょうどいい。

すごろくで「一回休み」のマスに止まった時は、ちょっと残念な気持ちになる。他のプレイヤーがどんどん進んでいく中で自分だけはずっと同じマスにいる。
でもよく考えたら、1ターンで進める距離なんてたかが知れている。サイコロなら、最高でも6マス。人生ゲームで「10」が出ると、ちょっと大変だけれど。

現実でも、同じこと。
1ターン休んだくらいで、置いていかれはしない。自分の居場所はなくならない。追いつける、追い越せる。

「一回休み」の時は、なるべく、できるようになりたいことから離れるようにしている。
それがライティングに関することなら、書くことから離れる。書くことに繋がる、読むことや描くこと、表現することからも少し距離を置く。
人間関係についてなら、人から離れる。ひとりでいることを許し、大切にする。銭湯や岩盤浴に行ったり、映画を観たり。カメラ片手にスマホもなにも持たずに出かけることもある。

するとやがて、うずうずしてくる。試してみたいアイディアが浮かぶこともある。
そういう時は、「いやいや、まだ休まないと!」と抑えずに、素直に手を動かしてみる。うまくいく時もあれば、うまくいかない時もある。
うまくいかない時は、もう一度休むこともあるけれど、だいたいの場合はもう元気になっていて、「もがきたい」と思っている自分がいる。

そのくらいが、ちょうどいい。

なんてことのないタイミングで、できちゃうかもしれない

ここで少し、愛犬の話を。

彼女とディスクで遊ぶようになってから数か月、空中キャッチがなかなかできずにいた。咥えようとしても場所が悪かったり、鼻先にぶつかってしまったり。
何度か練習するうち、「わたしの投げ方が悪いのかも」なんて考えがよぎった。せっかく遊んでいるのに申し訳ないなと思って、ボール遊びや追いかけっこをするようになった。

本当に楽しそうにはしゃいでいて、「こういうのが良いよなぁ」と感じた頃。
ふと公園のベンチで休憩していた時に、お散歩バックの中にあるディスクに目が留まった。
軽く投げてみる。彼女がキャッチする。…………、え?

もう一度投げてみても、やっぱり彼女はキャッチした。ディスクが地面に落ちてからではなく、空を飛んでいる間に。
「もう一回投げて」と急かしてくる。まだ失敗する時もあるけれど、彼女は本当に楽しそうだった。

やり続けてもできない時はある。

できないことがある時、わたしたちは、「なぜそれができないのか」「どうすればできるようになるのか」を考える。
もちろん、そういう視点はとても大切だし、できないことに向き合うのも尊い時間だと思う。

でも、できない理由は、技術不足や才能、熱量の問題ではないのかもしれない。
空中キャッチができなかったのだって、彼女の取り方やわたしの投げ方になにか問題があったとは限らない。風が強すぎたのかも。ディスクの材質が柔らかすぎたのかも。もしかしたら、熱量を持ちすぎるあまり、緊張して身体が固くなっていたのかもしれない。

どれだけやり続けても、一生懸命でも、できない時はある。タイミングや時期が違うだけの時もある。そういう場面では、「もがき続ける」という方法は得策ではない。

それが納期の決まっている仕事や急を要するものなら、違う方法を考えないといけないかもしれないけれど。
人生はこの先何十年もあるのだから、焦らず、「一回休み」を取り入れてもいいのではないだろうか。

あとがき

できるようになりたいことができないのはしんどいし、疲れた時は休んでほしい。
でも、「それでもできるようになりたいから」と頑張っちゃう自分も、愛したい。

もがくのを楽しむ余裕を持っていたい。

TOP画像は、今回のnoteのキッカケになった愛犬。
疲れたら木陰で休んで、元気になったら全速力で走り回る彼女のように、自分に素直でいられたら、と思う。

かわええやろ。

感想、コメント、リクエストなどいただけたら嬉しいです。「たかれんのこんな記事読みたい!」があったらDMにどうぞ!