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忘れられない“運命の一冊”-『レインツリーの国』

忘れられない本がある。

その本は自室の本棚にきれいに収まりつつも、まわりの書籍とはあきらかに見た目が異なっている。汚れのついた表紙。細かなヨレや、黄ばみ。ぐっと力が込められたであろう、親指の跡。

もう8年ほどの付き合いになるだろうか。当時高校生だったわたしに、愛のつよさと、人のよわさ、愚かさ、生きることの素晴らしさ、繋がりの豊かさを教えてくれた本。

わたしが初めて、涙でぐしゃぐしゃになって、読めなくなった本。

「私たちとは喋らないくせに男とだったら愛想よく喋るのよね、あの子」

(『レインツリーの国』有川浩,2009,新潮社,p117)

グサリ、と刺さった。心臓の奥深くに。だってそれはえぐくて、意地悪で、醜い言葉なのに、十数分前に自分が感じたことと近かったから。

“あの子”というのは、本書のヒロイン・ひとみだ。上記の言葉は、ひとみの職場の人が言ったこと。その数行後、ひとみはこんな言葉を吐く。

そんな酷いことが許されていいのか、などというキレイごとのリアクションは逆に辛い。キレイごとで状況は変わらないからだ。

同書 p119

またグサリ、と音がする。

ひとみは聴覚障害をもっていて、補聴器を使っても聞こえる声はごく一部。人との会話を成立させるためには、唇の動きを見たり、文脈で推察したりする必要がある。それだけ全力で聴こうとしても、なかなかコミュニケーションがうまくとれない瞬間がある。そしてその「成立しないコミュニケーション」の背景である彼女の事情は、ただひとみと話すだけでは分からない。だってひとみはそんな自分がひどく嫌いで、周りにはひた隠しにしている。

本書の主人公・伸とデートをするシーンでは、この「成立しないコミュニケーション」が度々起こる。

例えば、映画を観るシーンで。

伸が観たい映画を訪ねると、ひとみは洋画が観たいと言う。「字幕がいいです」と。しかし字幕版は全部売り切れになってしまっていて、伸は「吹き替えでもええ?」と聞く。

――ああ、痛い。だってひとみは、吹き替えでは話についていけない。映画館によっては邦画に字幕をつけるサービスもあるだろうが、ひとみは伸の前では「普通の女の子」でいたいから、そのサービスは選べない。

結局ひとみは譲らずに、また伸も納得ができずに、だんだんと険悪なムードになっていく。

窓口でもたもたしていると後ろに並んでいる客が露骨に苛立ちはじめた。すぐ後ろのカップルは問答の内容が聞こえたのか「混んでるんだから早くしろよな」「彼女のほうワガママー」などと聞えよがしに嫌味を言いはじめたが、ひとみは一向に気にした様子はない。

同書 p73

事情を知った今は、ひとみの気持ちも分かる。状況の仕方なさも。けれど事情を知らない時点では、ひとみはすごく「ヤなヤツ」に見えた。

もうちょっと気を遣ってくれてもいいじゃないか。字幕が好きでも、吹き替えだっていいじゃない。3時間待つわけにもいかないでしょう。そんな自分勝手な感情がむくむくと起き上がる。

だから、ひとみに向けられた言葉が痛いのだ。

「私たちとは喋らないくせに男とだったら愛想よく喋るのよね、あの子」

陰口は言わないし、「くせに」なんて言葉は選ばない。でも、重要なのはそんなところじゃない。

わたしは、自分とは違う聞こえ方をする人がいることを知っている。聴覚障害などの言葉を知っている。しかしそれは「知識」であって「経験」じゃない。

雑談で喋りかけたら曖昧な笑顔で会釈して去られたら、良い気はしないかもしれない。「あ、いまの聞こえにくかったのかな」なんて、いちいち気が回らないかもしれない。

電車で「ちょっと道あけてください」と言ったのにどいてもらえなかったら?
エラーを知らせるブザーが鳴っているのに無視して平然としていたら?

ひとみをぞんざいにしてしまう瞬間は、日常の中にいくらでもある。

「P.S. なあ。糸はもう一回繋がったって思ってええよな?」

この本が忘れられないのは、そんな自分のなかのどうしようもない愚かさが見事なまでに浮かび上がるからだ。でも、「痛い」だけじゃない。

初デートが散々だったひとみは、伸との関係はもう断絶されたと考える。しかし初デートの後、伸からはメールが届く。

ごめん、めちゃくちゃ勝手なこと書くけど、君が返事をくれるかどうか今の俺には分からへんから、後悔せんように言いたいこと全部言わせて。ごめん。このメールで嫌われたら諦めるから。

同書 p92

そんな言葉から綴られる、ありったけの思いが込められた手紙。最後はこう締めくくられる。

願わくば、もう一回君との糸が繋がりますように。

同書 p93

なんてまっすぐな。そのある意味強引な押しの強さは、やがてひとみを外の世界へと連れだしていく。

――ああこれは、恋愛小説なのか。

本書の著者、有川ひろさんはあとがきにこんな言葉を残しています。

私が書きたかったのは『障害者の話』ではなく、『恋の話』です。ただヒロインが聴覚のハンデを持っているだけの。
聴覚障害は本書の恋人たちにとって歩み寄るべき意識の違いの一つであって、それ以上でもそれ以下でもない。ヒロインは等身大の女の子であってほしい。

同書 p226

この本にとって、聴覚障害は重要な要素のひとつとなっています。でもそれが軸ではない。だってひとみが持っているのは聴覚障害だけではないし、伸にだって葛藤や人生がある。彼女たちの人生は、それ一つだけに支配されるわけではない。

これは、恋愛小説だ。ちょっとワガママな女性と、陽気な男性の。

その人生のひとかけらを、どうか覗いてみてほしい。

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