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正義厨


 月曜日の、朝、十時。
 銀行のATMコーナーに足を運んだ私は、驚愕していた。

 ……めちゃめちゃ、混んでいる。

 そうか、そういえば、今日は月末だった。
 普段あまり日にちを気にしていないので、うっかりしていた。
 月末というのは、給料日だったり、支払いの期限だったりで銀行が混むものだ。

 私は月水金と実家の母親を買い物に連れて行っている。
 月曜は銀行の近くのスーパーに行くので、母親が物色中に抜け出してATMで一週間分の資金を下ろすのが常だ。八台ATMが並んでいるので、通常であればものの五分で現金の引き出しができるのだが…今日はちょっと難しそうだ。

 だが、日曜に予定外の買い物をしてしまったので、財布の中に現金がほとんど残っていない。何がなんでも今日お金を下ろしておかなければ、自宅用の晩御飯の買い物もできない。

 長蛇の列の最後尾に並びながら、母親の買い物が終わるまでに戻れるか、焦る。

 母親は買い物の際、私が横にいることを嫌い、自由にフロアを回りたがる。何を買うのか、見られていると監視されているようで不愉快なのだそうだ。そのくせして、レジの支払いの際は私が横にいないと機嫌が悪くなり、大声で人の目が集まる中私を叱り飛ばす。

 通常であれば、さっさとお金を下ろしてレジ前で待機し、母親がやってきたところで合流するのだが。

 …ずいぶん年配の人が多いのは、今日が年金の振込み日だからだろうか。
 稼働中のATMは、左からおじいちゃん、おじいちゃん、おばあちゃん、おじさん、おばさん、おばあちゃん、おばさん、おじさん。

 一番左のおじいちゃんはめがねをかけたりはずしたりしながら、ぶつぶつつぶやきつつ操作をしている。
 二番目のおじいちゃんは手にたくさんの通帳を持っている。
 三番目のおばあちゃんは、係員の人を呼んで色々やっている。
 四番目のおじさんはさっさと次の人と入れ替わった。
 五番目のおばさんは袋から大金を出して数えている。
 六番目のおばあちゃんは何か困ったことが起きたみたいで、係員さんを呼ぼうとしているが誰もいないのであたりを見ながらきょろきょろしている。
 七番目のおばさんは次の人と入れ替わった。
 八番目のおじさんが、次の人と入れ替わった。

 八台もあるATMだが、すんなりと入れ替わってはいかない。トラブルが起きている人に対応する係員が足りていないのだ。列を整頓している人がATMに向かったけれど、また別の人が手をあげている。ATMの向こう側にある銀行も人がいっぱいで、係員の対応待ちの列が長く伸びている。

 私はスマホで時間を気にしながら、順番を待った。

 今の時間は、10:30、通常であれば、母親は10:45にはレジに並ぶ。順番は、次の次だ。……間に合いそうだな。

 私の前の人が、六番のATMに入った。次は私の番だ。

 五番のATMがあいた。
 私は五番のATMに入り、ヒップバッグの中から通帳を取り出そうと…。

「おお、ごめんごめん、もう一冊あったわ!!」

 なんと、今五番のATMから出ていったばかりのおじいちゃんが、戻ってきて…操作を始めてしまった。ご老人は…私のことなど、見えていないようだ。

 仕方がない、順番待ちの所に、戻るか……。
 私が、ATMの並ぶ列の先頭の場所に戻ろうとすると。

「おい!!!なに横入りしてんだよババア!!順番も守れねえのかよ!!!」

 長い順番待ちの後ろの方から、罵声が聞こえてきた。

 私……が怒鳴られて、いる?

「みんな並んでんの!婆さんだけがずるなんてできねえの、わかってる?!」

 私は…ちゃんと並んで、順番になったから、ATMに入って。そこに、前に入っていた人が戻ってきたから…元の位置に戻っただけなんだけども。

 順番待ちの列を管理している係員は、操作に手間取っているおばあちゃんに付きっきりで…こちらを見ていない。ATM付近の係員も、通帳を山のように持っているおじいちゃんの対応に追われて、こちらを見ていない。順番待ちをしていた私の次の人は、スマホを見ていてこちらの騒ぎに気が付いていない。列に並んでいる人の誰もが…私を見ずに、足もとか手元か、かばんの中を見ている。

 別のATMが、空いた。

 私が、そこに向かおうとしたら。
 次の人が、何も言わずに、入ってしまった。

「おい!!あのマナー違反のババアをどかせよ!!係員はいねーのか!!なんだよ、この銀行はよお!!!」
「お客様どうされましたか!」

 おっさんの大声を聞き付けたのか、銀行の方から男性の係員が飛んできた。

 私の方ではなく、怒鳴り声の主のもとに行ってしまった…。

 おじいちゃんに付きっきりになっていた係員が、私の方にやってくる。

「お客様、そちらは順番待ちの列ではございませんので後ろにお並び下さい。」

 ああ…、ダメだ、この空間には、私を悪と思うものしかいない。真実を知っている人もいるかもしれないが、声をあげてくれる可能性は…低い、いや、ない。

 説明をしてもいいけど、もう時間が、……ない。スマホの時間は、10:38…急いだ方が良い。

 私は何も言わずに、ATMの列を離れた。

 お金を下ろすのは…母親を家に置いて、ご飯を作って、部屋の掃除をして、布団を取り込んで、掃除機をかけて、花壇に水をやって、晩御飯の準備をして、お風呂の準備をして、そのあとだ。

「ルールが守れねえなら銀行に来るな!もう悪い事はすんじゃねえぞ!!」

 銀行を出ようとした時、背中の方から、正義の鉄槌が浴びせられた。

 あのおっさんは…今、マナー違反のクソババアを追い出すことに成功した、正義の味方として…満足しているのだろう。

 混みあう銀行で、みんなピリピリしていた。係員は、きちんと仕事をしていたけれど、数が足りていなかった。一般客はみんな、黙って並んでいた。大きな声で威嚇する人がいた。誰も声をかけようと思わなかった。……ただ、それだけだ。

 駆け足でスーパーに行くと、いくぶん少なめの買い物を終えた母親が…、レジ前で店員さんに文句を言っていた。

「おかあさま、心配されてましたよ、約束はキチンと守って差し上げないと、おかわいそうです。」
「すみません。」

 …ああ、ここにも、正義の味方が、いる。母親の言葉を聞いて、親不孝ものに鉄槌を下しているのだ。

 店員さんに頭を下げ、レジに進んだ私に、母親の執拗な攻撃が浴びせられる。

「…やっときやがった!今アンタを呼び出してもらおうと頼んでたんだよ!店員は丁寧に話を聞いてくれて頭まで下げてくれたのに、あんたは私にごめんの一言も言えんのか!人を心配させたくせに!年寄りを労れないとか本当に情けない!何やってたんだ!!あんたは本当に昔から愚図で気が利かなくて本当に忌々しいったりゃありゃしない!!今日は侘びとしてアンタのおごりね!あたしはあそこの椅子に座ってるから!レジ袋は二つね!」

 私は、何も言わずに…レジで会計をする。

 母親は、自分こそ正義だと信じて疑わない。老人は敬われて当然、老人を怒らせるなど若者として失格、親の言うことは全て正しい、親に金を払わせるとはなんという不届きもの、だが金のないお前を気遣って少ない年金を使って買い物してやる思いやりに溢れた親なのだ、礼儀も知らない哀れな奴に教育してやる私は偉い、老いてなお子供の世話をする私は母親の鏡だ、さあお前を徹底的に叩き直してやる、ありがたく受けとれ!

「1425円です。」

 ああ…財布の中に、1420円しか、ない。

「すみません、レジ袋、やっぱり一枚でいいです。」

 車の中で、レジ袋を一枚しか買わなかったことをさんざん罵倒されながら、親の住むマンションへと戻る。

 ご飯を作りながら罵声を背に浴び、部屋の掃除をしながら罵倒を背に受け、布団を取り込みながら罵声を背に浴び、掃除機をかけながら罵倒を背に受け、花壇に水をやっても罵倒を背に受け、晩御飯の準備をしている最中ももちろん罵声の嵐を背に受け。

 ……罵られながら、親のために尽くす、私、かあ。

 はは、自分を犠牲にして、親の喜ぶ姿を見たいからってね。
 正しい、子の在り方を、やらせていただいて、いるってね。
 私は、自分のできることを精一杯やっている、崇高な人なんだよってね。

 ……正義厨は、世の中に、溢れているのだ。

 夕方に行ったATMは、まだ混み合っていた。

 だが、正義厨の心をくすぐるような出来事は、なにも起きなかった。

 今度は、誰も問題をおこすことは、なく。
 今度は、誰も声をあげることは、なく。

 ……ああ、なにもなくて…良かった。

 私は、無事に…お金を下ろすことが、できたのだった。


何も言えない人間がいるってことを知ってほしいと思います…。

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