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バター人間

 ・・・・・・腹、減ったな。

 昨日の夜、忙しすぎて・・・飯を食い損ねちまったからな。
 空腹で目が覚めて・・・はは、珍しい、まだ8時前だ。

 何か・・・食うもの、あったかな。

 キレイに片付いたミニキッチンの棚を見ると・・・お、パンが一枚残ってる。
 トースターに突っ込んで、カップがセットされたコーヒーメーカーのボタンを押す。

 ・・・パンをのせる皿と、バターがいるな。

 冷蔵庫のドアを開け、バターケースを取り出し。
 焼きたてのトーストに、カット済みのバターをひとかけらのせようと。

 ・・・やけに、軽いな。

 そういえば・・・、最後のひとつだったな。
 新しいバター、・・・買いに行かないとな。

 今日、買いに行けるかな?

 休みだし・・・行けるとは思うけど、めんどくさいな。

 そんなことを思いながら、バターケースのふたを、開けると。

「……おっす!」

 ・・・・・・小さな、人が、いる。

 バターの小さなかけらがこびりついた、プラスチック製のバターケース。
 バターをカットできる機能を備えた・・・今人気のアイテム。
 バターにこだわりのある俺に、みなみがプレゼントしてくれた逸品。

 その中で・・・おおよそふさわしくないものが、バターケースの壁にもたれかかりながら、右手を挙げた。

「・・・やあ」

 とりあえず・・・初対面だし。
 あいさつくらいは、しておかないとな。

「俺、バター人間。……今からお前に食われるしか脳のない、悲劇の存在よ!」

 薄黄色のジャージに身を包み、不機嫌な表情を向けて、投げやりな物言いをする・・・バター人間。

 コイツは・・・バターだよな?
 いや・・・バターだった・・・のか?
 なんで・・・人の姿になった?

「・・・君を食べることは、できないな」

 僕には、食人の趣味はない。

 バターをバターとして食べることはできるが、バターが人の形をしている限り・・・食べようとは思わない。

 ・・・・・・仕方がない、何もつけずにパンを食べるか。
 アツアツのトーストに手を伸ばし、一口かじろうとすると。

「おい!!お前くわねーつもりかよ!!バターに生まれた、俺の存在意義!!お前にエネルギーを与えるために俺はバターとしてここにいるんだぞ?!」
「・・・食われたくないから、やさぐれているんじゃないのかい」

 このバター人間の、本意がわからない。
 トーストを皿に戻し、バターケースの中に視線を落とす。

「ちげーよ!!食われてなんぼ、それは理解している!工場で生まれて、仲間と共に業務スーパーのチルド棚に並び、かわいいねーちゃんに買われて、何の因果かすかしたスケコマシ野郎の冷蔵庫の中に住まうことになり……、この身を削った生活も今日で終わりと思ったらだな!!ちょっと挨拶くらいしとくかって思ったんだよ!!」

 バターのくせに、律儀なことだ。

「……俺だって本当は食われる運命じゃなくて、お前みたいにリア充したかった。日替わりでおねえちゃんとオサレな朝飯食って、たまに母ちゃんが来て世話焼いてもらって、快適な暮らしをエンジョイして……そういう恵まれた生活がしたかったんだ。これは、ただのしがないバターの、醜い嫉妬ってやつなのさ。どうしようもない現実の腹いせみたいなもんだ」

 バター人間が、背中を丸めてポケットに手を突っ込み・・・足元のバターカスを、蹴った。
 油の塊は、バターケースの壁に勢いよく叩きつけられて・・・貼り付いた。

「何、じゃあ君は・・・僕になりたいのかい」
「そりゃそうよ!!食われて誰かの一部になるくらいなら、誰かを食って自分として生きて行きたいに決まってるだろ!!」

 ・・・・・・なるほど。

「じゃあ・・・・・・交換、しようか」

「……へっ?!い、いいの?!」

 僕は、バターの最後のひとかけらとなり。
 バターは、僕の体の持ち主になり。

 熱いトーストの上にのせられて・・・とろけて・・・いかないな。
 そうか、話しこんでて冷めちまったんだな。

 僕は、指紋だらけの、バターナイフで、ザラザラした・・・塗りこめられて・・・ああ・・・・・・。

「へっへっへ!!これで今日からパリピ性活おっと違った生活がおくれるぞ!!まずは腹ごしらえするだろ、でもって俺を買ってくれたパイオツカイデーの姉ちゃんを…」

 ……ザクッ!!
 ……サク、サク、ボリ、ボリ!!

 ……むしゃ、むしゃ!!

 僕が。
 の中に。
 取り込まれて、いく・・・・・・。


 と、その時。


 ガッチャン!!

 玄関の、ドアの鍵が、開く音が。


 どた、どたどたどたどた!!!


 地響きが・・・音速で近付いてきた。

「ちょっと!!!ケンイチ!!あんた性懲りもなく・・・また浮気してっ!!」
「って、は?!俺は・・・今、パ、パンを?!」

 重量級の中年女が、だらしのないクズ人間につばを噴きかけながら、詰め寄っている。

「そんなもん食べて、余裕ぶっかましてんじゃないわよ!!今度という今度は許さないんだからね?!」


 パ――――――――ン!!!

 ザザシュッ、カッ!


 ド迫力満点の平手打ちがヒットした瞬間、かじりかけのパンがムチムチとした手で弾き飛ばされて、チリ一つ落ちていないフローリングの上にパンくずをまき散らしながら着地した。


 ガチャっ!!

 玄関のドアが、開いた。


 タッ、タッ、タッ。

 足音が、近づいてきた。


「アレー、鍵開いてるー!けーんちゃん♡おっはよー♡今日も仲良く…って!!ナニこのおばさん!!あ、もしかしてお母さん?どーも始めまして!あたしケンちゃんの婚約者でー!」


 カチャ。


 玄関のドアが、また開いた。


 パタ、パタ、パタ、パタ。

 足音が、近づいてきた。


「健一さん、おはようございます…あの、こちらの皆さんは?すみません、お取り込み中申し訳ないんですけど、今日私たち一緒に五ヶ月定期検診に行くんで…妊婦の私を優先してもらえませんか?」


 カチャ。


 玄関のドアが、また開いた。


 とた、とたとたとた。

 足音が、近づいてきた。


「か、笠原主任……、今寂しい一人身って言ってましたよね?ひどい、私…はじめて、本気の、恋を!!しゃ、社長に…パパにッ!!言いつけてやるぅううううう!!!」


 ガガッ。


 玄関のドアが、また開いた。


 ぺったぺた、ぺったぺた。

 足音が近づいてきたが、女性陣に取り囲まれて、今の状況がまったく見えない。


「うーわー、今日は…今回はまた派手だねぇ!!ま、アタシはケン坊が落ち着いた頃にまた来るよ、じゃーね!」


 ……バッタン!!


 ようやく・・・・・・玄関のドアが閉まった。


「ちょ…オイ、お前…どういうことだよ?!」

 一口齧りかけの、固形バターが擦り付けられた冷たいトーストに詰め寄る、イケメンナイスガイ。
 バターに戻った俺から見ても、本当にいい面ツラをしている。

 生憎だが・・・・・・僕はもう、ただのバターなので、何一つ説明をする事はできないな。

 ・・・・・・君はこれから、いろんなことを知るだろう。

 母親と思っていた女が、きれい好きで几帳面すぎる膨張の限界を突破した嫁だとか。
 とびきりかわいいだけの、頭の弱いエロい彼女がいるとか。
 隠し子が二人いるとか、三人目がもうじき生まれるとか。
 お得意先の社長の娘と付き合っているとか。
 十代の頃から世話になってるキャバ嬢がいるとか。

「あんたがどういう事なんだって言ってんの!!」
「えーケンちゃん落ちたもん食べるとか汚ーい!」
「もう、パパになるんだから食べ物を粗末にしちゃダメだよ…」
「あなたたちなんなんですか?!早く出てってください!ここは私のマンションですよ?!」
「単身赴任用の宿舎って聞いてるけど?!」
「ここは家政婦付きの独身寮なんだよ、ねっ!!」
「ねえ、検診の予約時間きちゃうよ、今日はパパママ教室があるんだよ?」
「うちの弁護士に相談します!!連絡先を教えなさいよ!!!」

 この修羅場を・・・どうやって乗り越えるのか。

 ・・・・・・ぜひ見届けたいところだけれども。


「ッ!!!こんなもん!!!」


 ザっ!!!

 ボスっ!!

 ガガンッ!!


 ゴミ箱の奥に、ぶち込まれてしまったからなあ・・・・・・。


「――――――――――――?!」

「――――――!」

「―――」


 バターという食糧から、ゴミという廃棄物に変わり果ててしまったからなあ・・・・・・・・・。


 僕は、この、愚かな物語の、結末を。

 知る、ことが・・・・・・。

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