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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (43) 葡萄餅の婆さんの話

 8月9日の第15書簡に続いて、わずか二日後に山田さんはまた中先生に手紙を書きました。

山田さんの手紙
第16書簡
明治37年8月11日
大阪より東京へ
中勘助へ
《僕が昨日の朝出した手紙を見る迄は山田はどうして居るんだらうと思つて君は手紙を控えて居るんだらうから君のところからまだ来まいと思つて居た。昨夕涼み台で横になつて空をながめながら例のとりとめもない事を色々と考へて居たら妹が君の手紙を持つて来た。思ひ掛けない友が久し振りに来たやうだつた。
 君は元気な様だね。あゝいふ風な手紙ははじめてだと思ふ。今一瞬間に戦が始まらうといふ。何かあるんだらうか。
 戦争が起らうとして居るんだらうか。それとも只譬へに借りて来たばかりだらうが、もしあるとすれば何だらう。不退転の勇猛心を起して人間の解決に精進しようといふ決心でも起つたのかと思つたが、いや是は僕の起しさうな想像、僕には何か物にふれてヒントを与へられた様に感じてかう勇ましい気になる事はよくあるがだめだめ。》

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1,767字
中勘助先生は『銀の匙』の作者として知られる詩人です。「銀の匙」に描かれた幼少時から昭和17年にいたるまでの生涯を克明に描きます。

●中勘助先生の評伝に寄せる 『銀の匙』で知られる中勘助先生の人生と文学は数学における岡潔先生の姿ととてもよく似ています。評伝の執筆が望まれ…

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