評伝中勘助』覚書(39) 岩波茂雄と岩波書店

・岩波茂雄
明治38年9月、東京帝国大学文科大学選科入学。
明治40年3月25日、神田佐久間町の井上善次郎(岩波の母の兄。薪炭商)宅で赤石よしと結婚。房州岩井の橋場屋に新婚旅行。
明治40年10月、本郷弥生町の大学裏門の向うあたりの二階の六畳と四畳の間借り。
明治41年2月、木山の近くの貸家に移転。
明治41年4月、大久保百人町の新築の家に移転。六畳二間に三畳、二疊。
同年6月、徴兵検査。丙種合格。
同年5月24日から藤原正夫婦も同居した。阿部次郎、石原謙、上野直昭、山田又吉、吉田圭、北島葭江、安倍能成などが入れ代わり立ち代わりおしかけた。
明治41年7月、東京帝国大学文科大学哲学科専科修了
明治41年8月14日、百人町の家で長女百合誕生
明治41年秋、藤原正夫婦は柏木に移動。
明治42年2,3月ころ、千駄ヶ谷の那須利三郎の住宅の離れを借りて移動。下は漬物置場。階段をのぼると六畳、三畳の二間。
明治42年3月、神田高等女学校教頭。この学校は神田橋の袂にあった。
明治42年6月、西大久保の関龍一の借家の二階家に移動。階上に山田又吉を置いた。
明治43年1月、麹町富士見町二丁目、靖国神社馬場の北側の南部伯爵家の借家に安倍能成といっしょに住んだ、岩波一家は一階、安倍兄妹は二階。共同生活。
明治44年春ころ、同居生活をやめ、岩波は百人町の家にもどった。
明治44年8月11日、次女小百合誕生。
明治44年7月20日すぎから8月にかけて登山旅行。信州から、新潟を経て秋田へ。岩波、安倍、田部重治、市川三喜、藤村蓋。角舘の椎名純一郎の家に着いたとき、次女出産の電報に接した。
大正2年7月19日、書店開業のため神田高等女学校を退職した。

・神田高等女学校

 

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