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とある老ドライバーのこと


 拙作「海峡奇譚」は、これまで書いた長編(といっても、まだほんの数作ですが・・)の中で、私が最も気に入っている作品です。

(作品扉に引用したイメージ)


 全体字数が約54万字と「敵は家康」の倍近くにのぼる大長編で、得意の戦国合戦ものではなく、いや、そもそもが純然たる歴史小説とはいえないかもしれない、なんとも奇妙で不思議なストーリーになってしまったのですが・・・とにかく愛着があるのです。未刊行作品ですし、内容的に今後刊行するのも難しいかもしれませんが、とにかく現時点における自分の代表作だと思っております。

 今日は、この作品に登場してもらった、とある実在人物とその発見について、ちょっと書いてみたいと思います。



 まず、この作品は、主人公・浅野和三郎(この人も実在人物です)による旅日記「欧米心霊行脚録」の記述に沿って進んでいきます。この旅日記は、浅野が1928年(昭和3年)、招聘されてロンドンの第三回世界スピリチュアリスト会議に出席した際の道中に体験したさまざまな出来事を書き綴り、つど故国にむけ発信する格好で書かれております。

 その第十信「欧米大陸の一角にて」の三項、「元は黒海艦隊の司令長官」の中で、パリ市内を観光するため、トマス・クック社(当時世界最大の旅行代理店)から遣わされた自動車の中での、老運転手との会話。

 「貴方の英語は実に立派ですね。何処で習ったのです?」
 「実は私はフランス人ではないのです。本国はロシアです。あなたのお国にも四度ほど行ったことがありますよ。」
 「なにっ!日本へ?ご職業は何です?」
 「実は私は、ロシア海軍の将校でした。日露戦争が終わったあとには、捕虜を受け取りに艦長として長崎に参りましたっけ。」
 (一部、会話を単純化して書き直しています。大意は変えておりません)

 この老運転士は、日露戦争後さらに栄進してロシア黒海艦隊の司令長官となり、しかし直後のロシア革命で国を追われ、今は零落して(薄給の)運転手としてアルバイトし糊口をしのいでいる、とのこと。浅野は彼の境遇に同情し、世の栄枯盛衰を思い、このかつての敵国の高級将校に少しだけチップを握らせたところ、丁寧に礼を言われた、と書いてあります。

 旅先での、ちょっとした出会いの記述です。もしかしたら、浅野が旅日記をおもしろおかしくするために内容を盛っている可能性もありますし、あるいは実際に、現地のしがない老運転士が、旅先の日本人にちょっとした与太を飛ばしただけなのかもしれません。


 しかし、黒海艦隊司令官、というのは大ごとです。
 気になって調べてみました。

 なぜなら、ロシア黒海艦隊の司令長官といえば、当時のロシア帝国海軍の中でもエリート中のエリート。日露戦争で活躍したマカロフ提督(ウラジオ艦隊司令官)やロジェストヴェンスキー提督(バルチック艦隊司令官)といった歴史上の有名人物に比肩し得る、超重要人物のはずなのです。

 きっと、何処かに、名前が残っているに違いありません・・・!
 (歴史作家の端くれとして、心がヒリヒリと震える瞬間です)


 そこで、日露戦争終了から帝政崩壊まで、約15年弱におけるロシア黒海艦隊の司令官を調べてみたところ・・・みごと、該当者がおりました!


 イワン・コンスタンチノビッチ・グリゴロービッチ

Ivan Konstantinovich Grigorovich (Wikipediaより)


 彼の軍人としての来歴は、赫々たるものです。

 1853年生まれ。上流階級の出で、英才教育を受けて海軍将校となり、当時の最新鋭戦艦「チェザレヴィッチ」の建艦監督としてフランスに渡り、竣工した同艦をそのまま旅順港まで回航する任務に就きます。到着寸前に日露開戦、「チェザレヴィッチ」は狙われて日本海軍による魚雷攻撃を受けますが、グリゴロービッチは沈着なダメージ・コントロールで沈没を回避、港に同艦を送り届ける任務を達成。そのまま旅順港の港湾司令官となり、終戦後は黒海艦隊司令官を経て、何と革命勃発前には最後のロシア海軍大臣になっておりました!

 実にとんでもない大物です。当時の日本海軍でいうと、あの東郷平八郎や山本権兵衛並の存在ではないでしょうか。

 しかしロシア革命後の彼の運命は悲惨で、革命後しばらくは職に留まりますが、赤色テロ(反革命分子に対する暗殺)を怖れて国外に逃亡、そのままフランスに居着き、1930年、赤貧のうち客死することになります。



 ・・・マッチ度、85%というところでしょうか。


 たしかに浅野の記述とは、細かなところで違いはあります。
 
 たとえば、老運転士イワンは、浅野との会話のなかで自分の年齢を71歳と語っていますが、グリゴロービッチの年齢とは数歳の差があります。「日本に四度行った」あたりの発言も、実際の彼の経歴とは合致しません。また、なにより、黒海艦隊司令官どころか、ロシア海軍大臣だったという最終経歴を語らないのも不自然です。

 もしかしたら、老運転士は別の「イワン」だったのかもしれません。

 しかし、遠い異国からの旅人を乗せた車中での会話で、そうしたことどもを必ずしも正確に語るべき必要があるわけではありませんし、なんらかの保安上の必要を感じて、最終履歴を敢えてぼかしたのかもしれません。浅野がところどころ会話を記憶違いしている可能性もありますし、いや、もしかしたらイワン老提督の安全を慮って、実際に交わされた話とは内容を少し変えて記録したのかもしれません。

 さまざまな想像ができます。
 そして、とても興味深い。そして面白い。


 そこで、拙作「海峡奇譚」では、このイワン老提督に、当初のプロットにはなかった印象的な役割を割り振って、かつて日本海軍の軍属であったこともある浅野と、印象的な出会いと別れをしてもらうように仕向けました。両者の別れのシーンは、我ながら実によく描けたと思い、書いてから2年経ったいまでも、たまに思い返してはひとりでニヤニヤしたりしております(笑)。


 もちろん、これは史実の探究などではなく、ある種の捏造の過程に過ぎないのですが、作品としてなすべき、必然的な捏造だったと思います。

 小説を書いてみてよかった、調べてみて面白かったと思う瞬間ですね。


 イワン提督ほか、古今東西の有名人が縦横無尽に大活躍する「海峡奇譚」、未刊行なのでまだ無料で読めますよ。

 もし54万字にお付き合いいただくお暇がございましたら、ぜひ!
(誘導ブログ終了w


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