見出し画像

#3 定年延長の功罪

昨年末から社労士資格の取得に向けての勉強を開始しています。単純に覚えなければならないことが山ほどあり、正直言ってくたびれます。しかし、その中でもこれまでよく知らなかったようなことが見えてくることもあります。

例えばサラリーマン(この呼び方も男性のみをイメージさせるのでよくないみたいですがここではあえて使っています)につきものの定年。私が社会人になった昭和61年当時、私の勤めていた会社は定年が55歳でそこから5年間の再雇用があり、最長60歳までの雇用でした。

そこから年月が流れ、今は定年を定める場合は60歳以上となり、65歳までは雇用を確保する義務を課す法令が整備されています(高齢者雇用安定法)。さらには70歳までの雇用確保も努力義務となっており、そのうちこれも義務付けられるかもしれません。

高齢者の雇用を確保することで人生100年時代となったシニア世代の生活の質を向上させ、併せて労働力人口減少に対する雇用の確保、納税者の増加による社会負担の抑制を図るという、みんなが幸せになれる政策のように見えます。しかし果たしてそうでしょうか?

人生は自分で選択できるのに…

永らくサラリーマンをやってきた感覚からすれば、このような制度があることで「会社が65歳(そのうち70歳)までは面倒見てくれる」という安心感が広がり、自分で何かしたいことを探しにいく、主体的に自分の人生を選択する、というインセンティブがなくなります。これはとてももったいないことだと思うのです。

定年というのは、ある意味自分の人生を振り返り、これからの人生をどうやって過ごしていくのかを考えるチャンスです。そのチャンスは実は定年になるずっと前から手にしているのですが、サラリーマンは普段そういうことについて真剣に考えることはほとんどありません。それを真剣に考える最大の機会が定年という訳ですが、それがどんどん後倒しになり、気がつけば70歳、ということになると、手にしていたはずの人生の選択肢はかなり少なくなっているはずです。

終身雇用、そして定年という制度自体が日本のサラリーマンから自由、そして活力を奪っているとしたら、それは大きな損失です。戦後の高度成長の原動力となったこの制度が、今の日本経済の凋落の原因となっているというのは言い過ぎでしょうか。

皆さんは定年についてどのように考えられているでしょうか?

#定年
#サラリーマン
#高齢者雇用
#選択理論
#社労士

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?