【その時耳鳴りが】

1987年4月の出来事だ。
当時、無農薬野菜の配達の仕事をしていた私は、いつものように朝の配達を終えて店に戻ってくると、店長から「待ってたよ。Kさんをいっしょにバンで送って行ってくれや」と頼まれた。

Kさんはお店の常連客で、もう80歳は超えていただろうが元気でおしゃべりだ。私は何度か家までこうして大きな買い物袋といっしょに本人を送り届けたことがある。

その日は、抜けるような青空だった。店の前から甲州街道に向かう途中、首都高速道路を右手にした時だった。赤信号にバンを止め、ぼんやりと空を眺めていると、突然、青空の中に白く光るものが現れた。見ているうちにそれは5つくらいに数が増えてきた。それらの光る物体は一斉に右手の方に急スピードで飛ぶや、あらぬところに現れ、急停止し、今度はふらふらと動き始めた。

そのうちの一つが、にわかにオレンジ色と銀色に瞬き始めたかと思うと、ぐんぐんこちらに迫ってきて、ちょうど高速道路の上空当たりでいったん静止した。

あわてて助手席に座るKさんに見えるかと聞いてみたが、Kさんは、なにも見えないという。そうこうしているうちに銀色の物体は、こちらに急接近してきた。

と同時に、耳をつんざくような耳鳴りに襲われた。
クルマのフロントガラスから上を見上げると、物体は私たちが乗るバンを覆いかぶせるようにして動かない。それは鈍い銀色のスチール製でできた巨大な円盤で、底面には、排水溝の蓋に似た縦じま模様が円周に沿って彫りこまれている。中心部は暗くなっていてよく見えなかったが、それ以上観察しようにも耳鳴りが酷くて凝視できない。

振り返って助手席のKさんを見ると、Kさんは話の途中で、口を半開きにしたまま動かなくなっていた。肩をゆすっても地蔵のようにして動かない。固まっている。「Kさん!」と声を出そうとしたが、自分も固まって声が出なくなっている。どうなっているんだと混乱しているうち、耳鳴りがおさまった。

気がつくと円盤は姿を消していた。

私は少し落ち着きを取り戻したので、バンを走らせようと信号機を見上げると、信号はまだ赤のままだった。

                               (完)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?