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自分にしかできないことでアスリートのキャリアに夢を。30社以上のスポンサー契約から学んだノマドアスリートの想い【本庄遥さん】

人生は選択の連続です。ご飯は何を食べようか、仕事は何から取りかかろうか、パートナーと明日はどこに行こうかなど。大小関係なく、一度決めた選択は巻き戻せないからこそ、悩み考え、時に立ち止まります。

選択は一度きり。だからこそ、選択にはその人の人間性や考え方が表れる。Choiceはそんな選択の瞬間を記事にすることで、その人の生き様を表現します。そしてその生き様は、同じ境遇や近い選択を迫られている人の道しるべとなる。そう考えています。

今回のインタビュイーはノマドアスリートの本庄遥さん。ソフトボーラーとして一流プレイヤーとなった彼女が、アスリートからビジネスパーソンへと変わっていくまでに決断してきた『Choice』を紐解きます。

本庄遥さん(ノマドアスリート)
世界を飛び回るソフトボール選手。小学2年生からソフトボールをはじめ、中学で全国ベスト4、高校で日本一を経験。大学2年生に原因不明の肩の怪我をするも、外国人選手と本気で戦うためにオーストラリアへ渡航。その後、ポーランド代表としてヨーロッパ大会に出場、スウェーデンの一部リーグのチームで活躍。自身の活動を続けるためにスポンサー獲得やファンづくりを実施。
自分で稼ぐ力をつけるために、ライティングとマーケティングを学び、時間や場所に捉われずに働ける「ノマドワーク」と出会う。自身の経験を他のアスリートにも実現してもらうべく、アスリートが場所や時間に捉われずに働けるノマドアスリートを立ち上げる。その他、90株式会社にて執行役員、CAMPFIREクラウドファンディングキュレーターを務める。(Twitter :@number_1h


【Choice1】本当にやりたいことを求めてオーストラリアへ留学。怪我をきっかけに自分と向き合ったことで気づいた本心

――そもそも、本庄さんがソフトボールを始められたきっかけは何だったのでしょうか。

小学1年生の時に学童保育に通っていたのですが、2つ上の友達がソフトボールをしていたのが始めたきっかけですね。とても仲良くしていた友達で、その子ともっと遊びたいという気持ちからスタートしました。

でもそれからは「めちゃくちゃ好きでずっと続けてきた」という感覚は実はなくて。何というか「家族」みたいな感覚なんです。親に対して、わざわざ「好き」なんて言わないような距離感というのか、自分の生活の一部になっていた。そんな感じが近かったと思います。

――意外でした。てっきり子どもの頃から大好きではまった結果、こちらの記事でも書かれているように順風満帆なソフトボールライフを過ごされていたと思っていたので。
大学生2年生の時に肩の怪我が理由で日本代表を断念されたとのことですが、その後、オーストラリアへ留学されています。怪我をして諦めるのではなく、むしろさらに高いステージを目指されたのはどうしてだったのでしょうか。

一番の理由は、高校の時に日本代表として出場した日韓交流戦です。実際に韓国人と戦ってみた時に、自分の力が海外に通用するかもしれないという可能性を感じました。実際に戦った相手から「チェンジアップ」というあだ名がつけられるくらい、自分の持ち玉を相手が認めてくれたんですよね。あだ名になるくらい、相手にインパクトを与えることができたのが自信にもつながり、「いつか他の外国人と戦ったらどうなんだろう」と自分の力を試してみたい気持ちが生まれました。

それからずっと心の片隅で外国人と戦いたいと思っていました。それで怪我をして実業団に行くイメージができなくなった時に改めて、自分のやりたいことや、ソフトボールとの向き合い方を考えたんです。

私は外国人と戦ってみたいから、その目標を叶えるために日本代表になりたいと思っていたことに気づきました。本来の目的である「外国人と戦う」が実現できるのは日本代表だけが選択肢ではないなと。怪我がきっかけで自分と向き合った結果、本来自分のやりたかったことに気づけたと思います。

――自分のやりたかったことに気づいたとはいえ、肩の怪我という逆境の中でも高いステージを目指されたのは変わらないと思うんです。そのバイタリティーというのか、メンタルの強さはの秘訣は何なのでしょうか。

よく行動力や決断力があると言われるのですが、良い意味であまり考えていないんですよね。普通の人だったら不安に感じるような時でも「なんとかなるだろう」という気持ちが勝つので。楽観的なんだと思います(笑)。

他の人に比べて決断力があるというよりも、「やりたい!」とか「面白そう!」と思ったことに対するコミットが早くて思った時には既に行動しているんです。他の人に比べて悪い結果を考えてないからなのか、この決断の早さが良い結果に繋がっている気がします。

――行動力のある人が成功する。まさにそのことを体現されていますね。

ありがとうございます。その後、大学ソフトボールを引退して4年生の後期にオーストラリアへ渡航しました。ただトラブルがあり、もらえる予定だった奨学金が急遽ストップしてしまったんです。渡航した後に、あてにしていた資金がないという状態に陥ってしまいました。

それでも自分の本当にやりたかった海外への挑戦を、こんなことで邪魔されたくないと思いスポンサー獲得に向けて動き出したんです。

【Choice2】不測のトラブルが起こってもめげずに進み続ける決断。そして勝ち取った30社以上のスポンサー

当時の私はTOEIC110点くらいのレベルで全く英語が話せず、仮に現地でアルバイトをしようと思っても到底無理なレベルでした。そのような状態では現地で資金を得ることは不可能だったので、日本の企業にスポンサーになってもらうことを考えたんです。

この頃、ちょうどブログをしていたのですが、今私がしている活動や想いを発信することで共感していただける企業はいると思いました。こちらからアプローチして見つけてさえもらえれば、サポートしたいという人にきっと出会えると。

当時、海外でソフトボールしている人はほとんどいなくて、活動の情報発信をしている人がいなかったんですよね。だから、この情報は絶対に価値があると思っていたのと、海外でソフトボールができる環境を作るという活動が、日本でソフトボールをしている人達にもきっと響くだろうと考えていました。一生懸命、実現に向けて活動する私の想いに共感してくれる人が出てきてくれる。そう信じていました。

私が発信していた内容は、それこそ留学する前の過去の自分、オーストラリアに行く前の自分が知りたかった情報です。オーストラリアはソフトボールの環境が本当に素晴らしくて、私もそのような環境でプレーすることで、ただ楽しみながらソフトボールをしていた小学校の頃を思い出すくらいでした。このような環境を求めている人は、私以外にも必ずいると確信していたので、スポンサー獲得の勝算は十分にあったんです。

とはいえ、そもそもスポンサーとどうやってつながればいいかの知識は全くなく、地道に「スポンサー獲得 方法」などで検索して必死で調べていましたね。

――そして実際に30社以上のスポンサー獲得をされたわけですが、具体的にはどのようなポイントをおさえてアプローチされていたのでしょうか。

企業に対して提示できるアスリートのバリューは大きく3つあると考えています。まずは「競技実績」ですね。 圧倒的に結果を出す。実績があれば大手企業のスポンサーがついたり、数十万~数百万円の経済を動かしたりできます。

これはどのアスリートも目指しているところですが、もちろん簡単ではないので限られた人しかたどり着けません。また、競技実績が良くても、競技そのものがメジャーではない限りはスポンサーはそう簡単につかないです。では、そのようなマイナー競技のアスリートは何をすべきか?それが次のポイントで「自分がどれだけお金を動かせるか」を示すことです。

自分がその競技市場の中でどのようなポジショニングを取り、どういう場面で自分をアピールすればいいかがわかっていると、例えば自分のグッズを買ってくれるコアなファンを作ることもできるでしょう。競技の勝ち負けだけでなく、自分の市場価値を理解してお金を集められる人になれば、企業も協力しやすくなります。ただこれも、やはりある程度の実績を持っていないと難しいことです。

そこで大事なのが最後のポイントで「ストーリー性」です。当時の私が他のソフトボーラーよりもスポンサー獲得できた一番の違いがこのストーリー性でもあります。

例えば冒険マンガの主人公は最初は完璧ではないですよね。山あり谷ありで大変な経験もしながら、ナンバーワンになるためにもがいて頑張る。この過程、このプロセスにこそ価値があります。

私がクラウドファンディングでたくさんの応援を集められたのも、「海外でソフトボールがしたい。ここでナンバーワンになりたい。だから応援してください」と訴えかけ、この過程が伝わったからこそ、応援していただける企業と繋がることができました。

ストーリー性を武器にできれば、スポンサーやファンの獲得をする際にもっとも強いコンテンツになり得ます。だから自分の競技実績が世界一に届かないのであれば、このストーリー性を真ん中において自分の市場価値を高めていくことが大事ですね。例えばSNSのフォロワー数など影響力という面で、トップの選手よりも自分の何が勝っているかを見つけることです。

▼本庄さんが当時、送っていたメールの内容はこちらの記事で紹介されています
フリーソフトボーラー・本庄遥、本場アメリカのプロソフトボールリーグにいよいよ挑戦! | アスリートが選手価値を高めてスポンサー獲得するためのノウハウサイト|アスカツ

――スポンサー獲得に取り組んだことで、新たな学びや気づきはありましたか。

スポンサー獲得の中でもっとも自分のためになったことは、社長の考えをたくさん聞けたことです。私は30社以上のスポンサー獲得ができたのですが、その過程で実際にお話させていただいた社長の人数は300人以上はいます。それくらい色んな方の意見を聞かせていただいた中で、見習いたいところもあれば、これは真似しないでおこうと思ったことなどたくさんのことを学びました。

中でも特に印象的だったのは、社長の多くは何とか社会を変えたい」といった想いを持っている方ばかりだったということです。そんな話をたくさん聞いていると、私の中でビジネスに対するイメージがどんどんポジティブなものになっていきました。私にも「いつか自分のビジネスをやりたい」という気持ちがあったので、将来を見据え、ライティング、マーケティングなど多くの分野の勉強をするモチベーションが上がりました。

本当に今振り返っても、スポンサーの方々には資金だけでなく、価値観や視野を広げていただいたので感謝しています。だからこそ、私は自分に対して圧倒的な自信を持ち、将来、絶対にお返しができると自負しています。これは昔から変わっていません。むしろそれぐらいの気持ちを持っておかないと、スポンサーとして応援してくれてる方々に申し訳ないですから。

スポンサー獲得で大事なのは、5年後、10年後に、社長が「自分があいつを育てたんだ」と言ってくれる人を何十人、何百人と作ることであり、スポンサーとなってくれた人にいい気分になってもらうことです。そのためには、結局、自分が成功することが全てなんですよね。

この想いが、私がスポンサー獲得を始めてからずっと心がけている大事な土台です。

【Choice3】自分にしかできないことをする。自らの成功体験を多くのアスリートに還元し夢を与えたい

――そしてご自身の経験も踏まえ、2022年1月に「ノマドアスリート」を立ち上げられたのですね。

そうですね。ノマドアスリートは「アスリートのキャリアを変えたい」と思って立ち上げました。私自身の経験も含めて考えた時に、アスリートはスポンサー獲得だけでなく自分で稼ぐ力を身につけた方が健全だと思ったからです。

アスリートとして活動を続けていくことは本当に大変なんです。私は結果的に良いスポンサーに恵まれましたが、基本的にアスリートは、スポンサーとして支援していただいた企業や人の「下」になってしまいます。言い方は悪いですが相手の機嫌を伺いながらペコペコし続けたり、枕営業とまでは言いませんがセクハラまがいのことを我慢しているアスリートも正直たくさんいるんです。

そんなアスリートの現状を変えるために立ち上げたのですが、今後の展開については今まさに試行錯誤しています。

――それはなぜでしょうか。

ノマドアスリートでは、自分で稼ぐ力を身につけるため、私がこれまで培ったライティングのノウハウを提供しています。スポンサー獲得においても、セールスライティングの知識は活かせますし、自分自身をアピールするためにnoteやブログを書くことは役に立つからです。

中でもインタビューに特化しているのですが、インタビュー記事を書くことで、自分の外の世界の人たちにも触れることができるので新しい知識も身につきます。あとインタビュー記事はSEO記事などとは違い、取材で聞いたことを要約することが求められます。アスリートにとっては、慣れないSEOに関わるよりも人の話を聞いて要約する方が書きやすいんですよね。なおかつ、記事単価もSEO記事よりも良いケースも多い。

このように色々と考えた結果、私はインタビュー記事に特化してアスリートを支援する事業を展開してきました。そして実際に15名以上の方に記事を書いていただいたのですが、人によっては記事を書くのが大変だとやめてしまう人もいました。

……で、何が大変なのか話を掘り下げていくと、タッチタイピングができないなど、基本のタイピングに時間がかかりすぎてしまうみたいなんです。私はそもそも好きでパソコンに触れる機会も多く、大学時代にタッチタイピングもできるようになっていたのですが、皆がそうではないことに気づきました。

そこで最近は、サービスをふたつに分けて「将来、ノマド的働き方ができるようになりたいアスリート」と「現役のアスリートを最大限に活かすファン獲得」のためのコンサルをしています。

――競技以外だと、思ったより難しいこともあるのですね。本庄さんはアスリートが作り出せる社会的な価値について、どのように考えていますか。

メジャースポーツだとわかりやすいと思いますが、一つは大きな経済効果をもたらせることですね。ただアスリートは気をつけないと、「自分が注目されることが当たり前」になっているのでテイカーになりがちです。

アスリートが「自分に与えられた環境に感謝しなさい」と言われることが多いのは、色んな人を巻き込んだ中で活動をさせてもらっているからだと思います。まず多くのアスリートは、そのことをしっかりと認識しなくてはいけません。

その上でアスリートがもたらす社会的な価値は、熱狂や感動を創り出し、人と人や、もっと大きな軸で言うと国と国をつなげられることにあります。それは、競技には明確な「勝敗」があるからだと思うんですよね。

仕事だと競合他社との競争はあっても、明確な勝敗が決まるわけではありません。しかしスポーツの世界には必ず勝者と敗者が存在します。そうした過酷な勝負をエンターテイメントとして提供しているからこそ生まれる感動があり、その感動から人や国の一体感を創り出すことができるのではないかと。

――オリンピックの原点も、そのような考えに近かったのではないでしょうか。

そうですね。だからアスリートはオリンピックに出たいのだと思うんです。そして日本一になりたい、世界一になりたいと思って努力をする。ただ、オリンピックに出て金メダルを取って「その先どうなりたいのか」というところまで答えられる人は多くいません。

実は私がオリンピックを目指さなかったのもそこなんです。例えば、今回の東京2020オリンピックで女子ソフトボールが金メダルを取りましたが、一般の人達はメンバーの名前をどれだけ言えるでしょうか。上野さんくらいしかわからない、という人がほとんどです。

つまりそれは、日本一になり、世界一になっても結局、今のソフトボールの価値が世間一般的にはここまでなのだと受け止めています。これは2008年の北京オリンピックで金メダルを取った時から感じていました。今回もきっと同じことになるだろうなと。

今の私はこういったオリンピックに出た人よりも、一般の市場での認知度は高いと思っています。なぜなら、スポーツ業界とは全然関係のない方々ともたくさん接点を作り、ソフトボール以外の領域でも活動をしてきたからです。

私はこのような活動をしてこそ、アスリートとして価値があると考えています。だからソフトボールだけに時間を割くことをやめました。

今、私が目指しているのは30歳を超えたくらいで、多様化するアスリートのキャリアをサポートできる専門家になることです。そのための土台作りとして、フリーランスとしてライティングに挑戦したり、マーケティングの会社で営業総括をやってみたり、アスリートが作り出せるバリューをとにかく追求していく。ここは実体験があるのとないのでは大違いなので、自分でさまざまなキャリアに挑戦しています。

メジャースポーツで有名になったアスリートが、ビジネスで成功する例もありますが、そういった方々と私の違いは「知名度がない状態で一つの成功の形を作ったこと」です。アスリートとして知名度を爆上げした状態からビジネスを始めるのではなく、知名度がゼロの状態から自分一人で築いていったところが違います。

だから私は知名度を武器にするのではなく、アスリートが努力して培ってきた忍耐力や、自分で目標を立てて取り組む計画性、チームワークの中で育ったコミュニケーション力などの経験値をビジネスに活かす術を身につけています。

「無名の女性アスリートがビジネスで成功した事例」が作れれば、多くのアスリートにも夢を与えられる。私はそう考えています。

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