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❨613❩1973.5.5.土.晴/市場の人々を観察する/サント・ドミンゴ:ドミニカ共和国

頭がちょっと重く、左脚ふくらはぎが痛い(少しビッコをひく)。

ボヤ~と下の市場の風景を、30分ばかり見ていた。相も変らない風景である。
あのオバサンはパイプくわえて、野菜を台の上に並べつつあるし、
隣の黒いおばさんは、いつもの様に座って、マメかなんかの皮むきをしている。
その横では、いつもの男がタバコを吸ってボケーとしている。

あちらもこちらも、いつもの時間、いつもの通り、万事うまくいっている様だ。

それにしても彼等は、いつから、そしていつまで、ああした生活を送っていくのだろうか?
あの少量の物で、一日どれだけの収入があるのか?
彼らは将来というものが、果たしてあるのだろうか?
それとも、そんな先の事など全く関係なく、その日その日をやっていけばいいと思っているのだろうか?
今夜のロン一本の為に、ビール一本の為に、一日を賭ける。

俺は、一年・二年先の成果を狙って、今この一日一日を賭けている(人間性の進歩)。
こんな事を考える事は、愚かだろうか?
あまりにも距離観がありすぎるな。

しかし、共通点はある。
いきついた所で、その個人が狙ったものを得れば、その者は、他はどうであれ満足するのである。
例え、それが一本のロンであっても。

遂に、願い空しく、今週も終わってしまった。実に実にやるせない。
この旅を省みると、実に「待つ」という事が多い様である。

考えてみれば、その待つことは、どうしても必要だったろうか?
又、そうして良かったのだろうか?
半分の事が、絶対必要という事はなかった様な気がする。

「待つ」絶対的な理由と必要があったのは、チェックとパスポートの時だけだったろう。
今回は、計算があまりにも大きく狂った。
運が悪かった。

随分俺は、無駄な日々を送ってしまった。
その無駄を無駄でなくする為には、どうしたらよいか?
同じ事を繰り返さない事だ。

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