見出し画像

LとRの曖昧さを逆手に取った昭和のトランスクリエイターたち

  奥さまの名前はサマンサ
  そしてダンナさまの名前はダーリン

 中村正の甘い声のナレーションで始まるドラマ『奥さまは魔女』。原題は Bewitched。《魔法にかかって》と《魅了されて》をかけたタイトルです。

 日本で吹替版がスタートしたのは1966年。
 私は小学1年生でした。

 広告代理店勤務のダーリンはテレビCMの案を考えたりデザインをスケッチしたり、やけに楽しそうな職業に見えました。私が1983年に大学を卒業して広告代理店に就職したのは間違いなくダーリンの影響です。

 再放送を何度も観てしまうほど好きなドラマでしたが、モヤモヤがひとつ。
 それはダーリンの名前。

 ダーリンとか、ハニーとか、愛する相手を呼ぶ時に使う言葉ですよね。1975年発売の『ルージュの伝言』でユーミンは「叱ってもらうわ My Darling ♪」と歌ってました。奥さんのサマンサがそう呼ぶのは良いとして、なぜ会社の上司までもが彼をダーリンと。

当時の宣材写真も今やパブリックドメインに

そのダーリンじゃなかった

 勘違いに気づいたのは1985年頃。
 会社の同僚たちと『奥さまは魔女』の思い出話になった時、ダーリンの疑問をなんとなく口にすると帰国子女の同僚が当惑気味に教えてくれたんです。

「Darrinだよ」

 えっ。
 Darren?

「じゃなくて、Darrin」

 Darlingじゃなかった‥…!
(以下、中村正の甘い声で)

  ごく普通のふたりは
  ごく普通の恋をし
  ごく普通の結婚をしました

  ただひとつ違っていたのは
  ダンナさまはダリンだったのです

 実際の発音を聞いてみましょうか。
 2分12秒あたり、サマンサが続けて2回 Darrin と言っています。

 カタカナ読みだとダリンが近いかな。
 ダーリンに聞こえなくもないですが、日本語はLとRが曖昧なのでDarlingと区別がつかなくなってしまいます。

 2カ国語放送もインターネットもなかった時代。原語の発音にふれる機会のないままドラマを観ていた日本人は多いのではないでしょうか。日本語吹替版スタッフはなぜダリンでなくあえてダーリンを選んだのか。

 ここからは私の推理です。

ディック・ヨークは初代のダーリン役

ダーリンのまなざし

 1960年代の日本人にとって『奥さまは魔女』は特別なドラマでした。青々とした芝生。豪邸ではないけれど十分に広い一戸建ての家。玄関を入ると額装の絵や調度品と共に立派な家電がずらり。居間の奥には中庭も見えます。魔法なんて使えなくていいからあんな家に住んでみたい。

『奥さまは魔女』は衣食足りて礼節を知った人々の穏やかなホームコメディです。魔法使いやクセの強い人間が取っ替え引っ替え登場する中でただひとり普通だったのがダーリン。彼の生真面目なまなざしを通して私たちはアメリカの豊かさや、豊かさゆえの奇妙さを垣間見ていたんです。

 そんな大事な役どころが《ダリン》などという耳なじみのない名前では視聴者のハートをつかめないぞ。日本語版制作スタッフはそう考えたのではないか。

 60年近く前の話です。
 当時の経緯を知るのは難しそう。

 と思っていたらヒントが見つかりました。

オープニング曲が脳内再生したあなたは昭和生まれ

2人の容疑者

 友人が昔買ったレーザーディスク『奥さまは魔女』のライナーノーツ。
 サマンサ役の声優、北浜晴子が懐かしそうに語っています。

ダジャレの多いシチュエーションドラマですから、日本語に直すのはずいぶん苦労なさったと思いますけど、それが見事な作品になったのは、翻訳の木原(たけし)さんと内池さんの才能が結集して花開いた成果じゃないかと思います。

『奥さまは魔女』LDボックス/ NBC ユニバーサル・エンターテイメントジャパン

 翻訳=木原たけし
 演出=内池望博

 ダリンをダーリンにすり替えた黒幕はこの2人かもしれない。調べるほどに推理は確信に変わりました。

 木原たけしは日本語吹き替え翻訳の第一人者。

 大学の英語学科在学中に演劇部を設立し、卒業後は自ら翻訳した吹き替え作品に声優としても一時期活動。彼の翻訳は喋りやすいとスタッフからも評判だったそうです。

「英語の場合は、ストレート過ぎる言い回しが多いのです」「(訳の)正確さも大事ですが、ただ訳しただけでは機械翻訳と同じで、意味は通じてもニュアンスは表現出来ません。そのあたりの表現が、翻訳者としての腕の見せどころだろうと考えています」と述べ、日本語として自然に聞こえることを強く意識している。

Wikipedia

 そんな木原さんなら「いっそダーリンにしましょうよ」ぐらい言いかねない。余談ですが彼が吹き替えを手がけた『ER緊急救命室』、好きだったなぁ。

日本語の魔術師

 一方、内池望博は東北新社の黎明期(1961年)からわが国の日本語吹替演出を牽引してきた音響監督、CMディレクター。『奥さまは魔女』冒頭の日本語ナレーションも彼が創作したコピーです。

吹替史上でも群を抜く名ナレーションとして知られる『奥さまは魔女』での中村正による「奥様の名前はサマンサ、旦那様の名前はダーリン……」というナレーションは、演出だった内池と中村により、約二行の台詞にもかかわらず収録に丸一日を費やし完成させたという。
吹替演出は「面白けりゃいいじゃないか」ということを第一に考え、日本語としての会話を大事にして作っている。

Wikipedia

 内池さんの線も濃厚ですね。

当時の現場のようすが生き生きと伝わってくる内池さんのインタビュー

 さらに、ダメ押しの情報が。
 2021年のNHK『チコちゃんに叱られる』に内池さんがビデオ出演していたらしい。観た人いますか?

Q. 298円をニーキュッパと呼ぶのはなぜ?
A. 内池さんが最初にCMで使ったから。

 何と内池さん、言葉の発明王でした。
 日本語の響きを自在に操る魔術師。

 ダーリン事件の犯人は内池さん、あなたですよね。
『奥さまは魔女』の制作会議でこんな会話が交わされたのではありませんか?

「Darrinはダーリンで行こう」
「でも、Darlingとまぎらわしいよね」
「あえてまぎらわしくするんだよ」

『奥さまは魔女』をケーキにたとえるなら、ダーリンは仕上げの粉砂糖。劇中で誰かがその名を口にするたび彼が愛されキャラに見えてくる。物語もハッピーな空気に包まれます。内池さんたちの仕掛けた甘い魔法に日本全国の視聴者がだまされていたんじゃないか。

 もしこれが他のディレクターだったら「ダリンは聞き慣れない名前だし、ダーリンだとまぎらわしいから‥…デニスかデビッドに変えるか」的な展開になっていたかもしれません。

 以上、私の推理でした。
 当時を知る関係者の皆さん、答え合わせをお願いします。

お手本の宝庫

 昭和の日本人の心に深く刻まれた「ダーリン」。これもまた翻訳を超えたトランスクリエーション事例だと思います。いや、『奥さまは魔女』そのものが昭和史に残る名トランスクリエーションだったのではないか。英語のコメディを日本人にも愛されるドラマにベクトル変換するため、制作スタッフは毎回大変な苦労をしていたと内池さんはライナーノーツで語っています。

駄ジャレが多いんですよ。それは日本語にならないでしょう。でも、向こうも駄ジャレでやってるんだから、こちらも駄ジャレでやるべきだろうと私は理解したんですが、場合によっては意味が変わっちゃう。1行のセリフでも30分ぐらい考えるなんてザラでしたよ。

『奥さまは魔女』LDボックス/ NBC ユニバーサル・エンターテイメントジャパン

 苦労の甲斐あって最高視聴率29.7%。

 放映開始当時、内池さん29歳。翻訳の木原さん33歳。サマンサ役の北浜さん28歳。ダーリン役の柳澤愼一さん34歳。北浜さんの言葉を借りるなら、伝説のドラマはまさに「若い才能が結集して花開いた成果」だったのです。


 ドラマの影響で広告業界へ首を突っ込み、今もトランスクリエーションを生業にしている私にとって『奥さまは魔女』はお手本の宝庫。宝物です。


二代目ダーリンはディック・サージェントでした




[おまけ]

 Darrinという人名について。

 アイルランド系の名前で、男の子にも女の子にもつけられるようです。そういえば『奥さまは魔女』にダーリンのご先祖様が登場する回がありました。15世紀のアイルランド人で名前は Darrin the Bold

 サマンサの母エンドラはダーリンと犬猿の仲でしたよね。だから彼の名前をいつもわざと間違えていた。ダンボ、ダグウッド、ダーウィン‥…。Darrinの語源は great を意味するそうです。何百年も生きてきた魔女エンドラはそれを知っていて、人間の分際で何が偉大よと思っていたのかもしれません。



この記事が参加している募集

ライターの仕事

仕事について話そう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?