実践編・どうやって瞑想をやればよいのかと、僕が至った人生の意味について

前回は総説を書いた。これを読めば極めて現実的に瞑想とは何たるかを理解できるはずだ。

上の記事にも書いたが、ものすごく簡単に言ってしまえば瞑想とは身体の掃除である。

何をどうしても家にホコリや汚れがたまり、老朽化していってしまうのと同様、私達の肉体も加齢や酷使に伴って必然的に穢れてしまう。


家の掃除やメンテナンスをしなかったら、そこに住む人達が病気になったり家がボロボロになっていってしまうのと同様…


私達の肉体も何らかの手段を通して掃除を行わなければ、必然的に悲鳴をあげるようになる。


肉体の掃除手段を取得する為にも、個人的には瞑想はやる価値があるメソッドの1つだと思う。

実際にどうやって瞑想すればよいのか

とはいえ多くの人は先に紹介した記事を読んで

「理屈は確かにわかった。しかし…実際にどうすればいいんだ?」

と思ったかもしれない。


個人的には想田さんの書かれたこの本を読んだ上で

実際にヴィパッサナー瞑想の合宿に参加するのが最も良いとは思うのだが、


これが色々な意味で非常に難易度が高いものだというのも、よく理解はしている。

もっと言えば…僕自身が1年間瞑想を継続して得たコツのようなものがあり、それを知っておけば随分と後続する修行者の方への助けになるだろうなと思う部分もある。


というわけで今回は実際に、どうやって瞑想をやればよいのかについて書いていこうかと思う。

瞑想は心の手術であり、危険性がある


注意点としては、僕は瞑想の指導者の資格は有しておらず、指導者としての公認は得ていない。


また、これは経験上からも言えるのだが、個人で極端な瞑想法に走ると、思想が急激に加速してしまい、結果的に実生活に悪影響が出る事も十分に想定される。


なのでもし以下を読んで瞑想を独習しようという人がいるのなら、上述したデメリットに関しては十分すぎるほどに気をつけて欲しい。


瞑想は心の手術である。故にできる限り安全に行うに越したことはない。


実際、自分自身も3回目の瞑想は非常にラディカルな体験となった。だからこれを読んで瞑想を実践し、超越体験のような経験をしたような人がいたとしたら、かなり慎重に実生活とのすり合わせを行った方がよい。


狂いと悟りは紙一重である。少なくとも現時点では貴方はまだ狂っていない。


だから瞑想体験を通じて悟ったと思ったとしたら…自分が狂人になった可能性について、ちょっとだけでもいいから思いを馳せて欲しい。それぐらいの慎重さは、併せ持っておいて損は無い。

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