瞑想合宿を経て理解した、瞑想の本当の意味と救済への道しるべ

年末年始に3度目の10日間の瞑想合宿を行った。

この間、食べ物は液体物のみで、毎日10時間近く坐禅を組み続けた。


昨今はマインドフルネスという単語の流行りもあって瞑想に注目する人も多いと思うのだが、僕が思うにほとんどの人は瞑想体験を通じて何が得られたのかまで自分の中で形に出来ていないように思う。


例えば誰かのヴィパッサナー瞑想合宿の体験記を読むと、多くの場合において

「どういった事をしたか」

「素晴らしい体験をした」

ぐらいの内容しか書かれておらず、そこから一般化あるいは抽象化させた公理まで至っている人はほぼ居ないと言っても過言ではない。


まあ自分自身も正直なところ、1回目の瞑想合宿では今思えば大した境地にまで至れてはいなかった。あの時は瞑想の奥義にまで至ったと思ったが、実際には入り口でしかなかった。


というわけで今回は3回目の瞑想合宿を経て僕がどこにたどり着いたのかを書いていこうかと思う。


人間は馬鹿みたいに色々なものの影響をうける

人間というのは、複雑そうにみえて非常に単純なところがある生き物である。


例えばあなたがひどい風邪をひいたとしよう。その状態では、あなたのメンタルはかなり不安定であったり、あるいは普段だったら考えもしないような事を想起して、落ち込んだりするだろう。


少なくともグッスリ寝て、気分が爽快な時とは比べ物にならない位に性格は違うはずである。このように人間の気質というのは、肉体の状態に強い影響を受ける。


10日間の瞑想合宿で多くの人が最初に学ぶ事は、この現実を直視し続ける事である。実は多くの人は、体調を”なんとなく”でしか理解していない。


先ほど例にあげた風邪なら、例えば咳がするとか熱がある位なら多くの人は認識するだろうが、実際には他にも”いたたまれない気持ち”だとか”寂しさ”のように、真剣に調べれば調べるほど膨大な情報が肉体から発掘できる。


そうして非常に多くの情報が自分の肉体から発されている事を理解するのだが、非常に勿体ない事に多くの人はそこで観察をストップしてしまう。


実はこれらの膨大な情報は、ほぼ9割ぐらいが人間の根源とも言える場所から生じている。この根源の正体こそが、実は…

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