発達障害ということ

お久しぶりですタカタカです。
だいぶご無沙汰してしまいました(−_−;)

なんか早くに起きすぎたから、障害について話そうと思う

俺は知ってる人は知ってるがADHDとアスペルガーです
これがきっと原因なのだろう
なぜコネ人は起こるのか?なぜ自分の話はこんなに理解されないのか?
これに今でもよく苦しみます
『障害者は社会的弱者』
これは何を基準に決めてるのか

それは『定型人』と言ういわゆる障害が無い人を基準値として、その数より障害者と呼ばれる定型人より著しく劣る脳の作りなどをしてる人のことを指す。
しかし、よく見渡してみて欲しい
成功者と呼ばれる人、よく調べるとそのほとんどは障害者なんです。
この国の基本的な働き方を振り返ってみて

正社員こそ正義でしょ?
その正社員こそ正義とされてるスタンダードとなってる中で、そこに収まらないで個人事業主とかにいち早くなったのはズバリ、障害者と呼ばれる人達です。

本当に障害者ってだけで社会的に弱いのか?障害者とは、頭が悪いのか?障害者とは世の中で底辺なのが普通なのか?

これは、まずは本人の気の持ちようではないのか?
俺は自分が障害者と判明した時、あーだからこんなに周りと違うのか!と納得した。次にそこを受け入れるつもりのない世間を恨んだ。
しかし、今はこれをやめた。
なぜか?意味が無いからだ。
わかって欲しいとは思うが、そこに期待しても自分がイライラするだけだから。

周りは障害を知らないから向き合えない
これが当たり前
なら自分が知って自分が自分の特性を掴んで少しでも適応できるようにしていく方が楽だと感じたからだ。
今でも深い考え方の違いみたいな話になると、どうにも人と噛み合わないけどなんとか社会に生きている

これは、障害に適応して接し方を考えてくれない世間が悪い→障害に興味も無い人がこっちの特性を理解しようとするわけがない←こう、思考を切り替えたからだ。

俺は思う
障害者だからと社会的底辺と定義づける人は、頭が弱いのだと。
想像力も洞察力も探究力も無いから、カテゴリ的な区別を差別にしないと自分が理解できないからそう思うしかない人達なのだ。と。

ならばやる事は一つではないのか?

『少しづつでも理解されなくてもひたすらに己を鍛える』

他者の理解は結果にしか反映されないそのくらい残酷なものだ
ならば、理解を自ら求めない。
この腹が決まれば少し楽になる。

存在する制度は利用させてもらうけどね
それこそ社会がカテゴリ分けした定義から受ける攻撃の対価として受け取ってる

障害者だからと嘆き膝を抱えて大人しくするか
障害者でも自分と闘い理解されなくても頑張るのか

掴め!特性を!操れ自分を!

この差は多いんじゃないかと思いました。

今回は以上です。

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