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石川県七尾市能登島野崎町ボランティア記録


1. はじめに

 今回、2月18日(日)に愛知ボランティアセンターによって実施された令和六年能登半島地震による被災地域へのボランティアに参加しました。地震発生当時の1月1日より、愛知ボランティアセンター代表であり東海高校教員の久田先生とやり取りをさせていただいていたこともあり、今回のボランティアに参加することができました。初めての災害ボランティア活動で参加者の中に知り合いがいるわけでもなく、完全に一人身での参加となりましたが皆さんが温かく迎え入れてくれたので、無事やり抜くことができました。
※掲載する家の中の写真などは許可を頂いております。

※参考
愛知ボランティアセンターHP
https://www.aichiborasen.org/

2. 集合~バス移動~到着

 前日の22:00に東別院に集合し、受付・出発式を行いました。ここからは約8時間のバスの旅です。バスの中で睡眠をとることになりますが、休憩所毎に起きてしまったため、まとまった睡眠はとれませんでした(夜行バスで、ドライバーさんが交代しながら運転しているので致し方ないことではあります)。また、バス内では窓側・通路側や前方・後方で気温に差があり、暑かったり涼しかったりと差があったため、脱ぎ着できて調節ができる服装がおすすめです。

出発式前の様子

 休憩・時間調整を行いながら能登島まで向かいました。まず最初に立ち寄ったのはひるがの高原SA(コンビニ有・Family Mart)です。24時前後の到着でした。

今回運行していただいたのは名古屋バスさん
休憩①ひるがの高原サービスエリア
ひるがの高原SAから見えたライトアップされたスキー場

 その後東海北陸道城端SA(コンビニ有・Daily YAMAZAKI)と、能越道県境PA(コンビニ無・最後の水洗トイレ)での休憩・時間調整(2時間ほど)を行い、石川県へ向かいました。そして、石川県七尾市のセブンイレブン七尾和倉温泉店では最後のコンビニ休憩(トイレ無)を行いました。そして能登島に入り、七尾市 能登島地区コミュニティセンターにて最後のトイレ休憩がありました。ここでは仮設トイレが6基(男性用トイレ3基、女性用トイレ2基、使用不可1基)ありました。能登島地区は断水が続いているため、ここが最後の使えるトイレです。(この後は簡易トイレのみしか使えません)

七尾市能登島地区コミュニティーセンターで最後のトイレ休憩
能登島地区コミュニティーセンター
能登島入り後のバス車内

 能登島地区コミュニティーセンターを出発した後は15分ほどで野崎コミュニティーセンターへ到着しました。能登島内は道路状況も悪く、地震によってできた段差を砂利などで応急処置をした箇所が多くありました。野崎コミュニティーセンターでは、現地の方々が温かく迎え入れてくれました(テレビ朝日系列のカメラも入ってました)。到着後は野崎コミュニティーセンター内に移動し、班ごとに分かれて準備を始めました。

野崎コミュニティーセンター

3. 準備

野崎コミュニティーセンター内到着時の様子

 準備では、各個人の準備や現地の方々の挨拶、班ごとの自己紹介や活動内容の説明などが行われました。被災状況、活動内容は家庭によって様々なため、担当するお宅ごとに説明がありました。(ちなみに私は3班の副班長を務めさせて頂きました。)この日は温かくなる気温予想だったので、あまり厚着をせず、脱ぎ着しやすいようにジャージで体温の調整ができるようにしました。野崎コミュニティーセンターを拠点として、活動場所へは長靴、手袋、ヘルメット、簡易トイレ用キット(凝固剤&黒袋)、懐中電灯、その他必要機材をもっていきました。電気は通っているため、懐中電灯・ヘッドライトはなくても活動できましたが、少し薄暗い場所やガラスの破片を拾う作業などもあったため、懐中電灯があったほうが非常に好ましいです(懐中電灯の光にガラスの破片が反射するため見つけやすかったです)。
Aさん宅への移動道中では、崩壊し型もなくなってしまっている建物や、瓦が散乱してしまっている場所、マンホールが隆起して砂利によって応急処置がされているところなど、地震の被害の大きさを痛感しました。

2班が作業をしたお宅
完全に崩壊してしまっている
土台が外れてしまっている

4. 活動

 私たち3班が活動するAさん宅では、建物の崩壊は免れたものの、窓ガラスなどは割れ、土壁がはがれ、タンスが倒れるなど様々なものが散乱している状況でした。また、家自体の傾きも見られ、扉の建付けが全体的に悪くなってしまっていて、家の中のほとんどの引き戸は使用不能状態でした。家主さんより、お宅の中での長靴での作業を許可していただいたので、足元は安全に作業をすることができました。

扉は変形し、壁ははがれてしまっている
土壁がはがれてしまっている
棚から様々なものが落ちて物が散乱してしまっている物置部屋
通路のカラスは割れてしまい、木の板で応急処置がしてある
様々な置物が散乱し、左側のタンスも上部が傾いてしまっている
本棚が倒れ、右側の壁もはがれてしまっている
本棚をどかした様子
部屋に物が散乱してしまっている
奥の扉は外れてしまっていて、壁にひび割れも見える

まずは安全確保の観点から落ちているガラスなどの危ないものの回収を行いました。ガラスや土壁は土嚢袋に入れた。使用不能な扉や、家具なども家主さんに確認し、処分するものは納屋に移動し仮置きをしました。

ガラスを回収する様子
崩れた土壁を回収する様子

 家具の中にも大切にされているものもあることから、丁重に扱うことを心掛け、家主さんの意思を確認することを心掛けました。1時間ごとの休憩もはさみながら、班長さんの的確なリードのもと、午前中には7割程作業が完了しました。

お昼休憩

 お昼は1時間ほど野崎コミュニティーセンターへ戻り、昼食休憩をとりました。朝の開始が早かった関係上、お昼休憩は10:30~11:30の時間帯でとりました。余談ですが、お昼休憩では能登豚を使用したサンドウィッチを食べました。非常に美味しかったです。(700円で出発前に食券を購入できます。)

能登豚サンドウィッチ

午後の活動

 午後の活動では、Aさん宅の続き、清掃を行いました。アルバムや卒業証書、各種賞状など大切なものもあったので、アルバムや本などの表紙は水拭きし、きれいな状態で本棚に戻しました。また、もともと寝室のあった場所は扉が壊れ、また崩壊の危険もあったため、ベッドを動かして配置換えも家主さんのご要望の通りに行いました。寒い地域のため、寝具が大変多くあり(贈り物も寝具が多いそうです)寝具関連の収納に一部屋を要しました。

敷布団のあった部屋
扉は変形してしまっている

片付け後

敷布団のあった部屋(片付け後)
押し入れの天井が抜けてしまっているのがわかる

午後の前半は1班も合流し20名ほどでの活動になりました。

家主さんと相談している様子
ベッドのあった部屋
土壁が崩れてしまっている
家具の配置換えを行い、整理した
下に崩れて落ちてしまっていたものも片づけた
ベッドの配置換え
ベッドの配置換え後
可燃ごみ、ガラス、壊すごみ。箱類など分別をしてまとめた
土壁の粉が落ちていた床の拭き掃除も行った
床のガラスを回収し、使用不能の扉を回収した。
Before
After,足元整理後
本棚の倒れていた部屋(整理後)
整理後
作業をしている様子

 大変大きなお宅で納屋もあったため、処分するものはすべて納屋に運び込みました。途中で、納屋の柱の補強を地元の方々で声を掛け合いながら行っており、地元内での結びつきの強さを改めて実感しました。地震のあった際、野崎町では幸いにも死者が一人も出ておらず、これは地元内での結びつきの強さが地元内での助け合いに繋がったのだと聞いてはいましたが、改めて体感しました。

 Aさん宅での作業も班のみなさんの迅速な動きもあってスムーズにでき、予定よりも早く終わってしまったため、次のお宅に移動することになりました。すべての班がその日に予定していたことを終わらせてしまっていたため、最後のお宅には全ての班(約40名ほど)が集結しました。最後のお宅では納屋からの運び出し作業を行っていましたが、3班は最後の到着であったため、人手はたりていたため、最後のお宅の家主さんとともに少しお話をしながら過ごしていました。海で魚を取る「銛」についての解説を主に聞いていました。その後、少し予定よりも早かったのですが、その日にやることが終わってしまったため、野崎コミュニティーセンターへ戻りました。戻る際に見えた、野崎漁港から見える富山県の北アルプス・立山連峰はとても綺麗でした。素敵な地であることを改めて実感しました。

野崎漁港からの景色
前方に見えるのは北アルプス・立山連峰。
右側の電柱が地震によって傾いているのも見える

5. 撤収~帰還

 野崎コミュニティーセンターへの到着後は、各自片づけを行いチームごとの活動状況の共有を行いました。14:00過ぎにはバスに乗り込み、最後にバス内で地元の方からの挨拶があり、その後出発しました。行きのバスよりも明るく、周囲の状況がよく見えたため被害の惨状がよりわかりました。帰りは七尾市能登島地区コミュニティーセンターでのトイレ休憩に寄った後、道の駅万葉の里高岡にて夕食休憩を取りました。

道の駅万葉の里高岡

 道の駅出発後は、ひるがの高原SAにてトイレ休憩をはさみながら、21時30分ごろに東別院に帰着しました。復路のバスの中では、往路のバスのように寝なければならないという気持ちからではなく、疲れからか自然と眠りについてしまいました。

6. 全体を通じて

 初めての災害ボランティアでしたが、楽しく明るく、そしてまじめに取り組むことができました。3班の副班長という大役を任されましたが、ベテランの班長さんや班員さん、テキパキと動いてくださる班員さんのおかげで無事務めきることができました。ありがとうございました。
 活動を通じて、野崎町のみなさんは温かく、優しいということを実感しました。しかし、2軒目のお宅でお話を伺った際に、「日常はめちゃくちゃですよ」と投げやりにおっしゃってる姿を見て、物理的な被害の大きさだけではなく、心への傷の大きさも実感しました。最初に活動をしたAさん宅の家主の方は、次から次へと出てくる思い出の品に、想いを巡らせつつ思い出話に花を咲かせていました。Aさん宅には海難事故の際の感謝状やクレーンの技術力認定証など、様々な活動にて活躍されていた一面も垣間見え、改めて”人生”に触れることができた時間だったと実感しています。現地の様子を直接見ることによって、ニュースで見た様子とはまた違う、生でしか感じ取れないような、言葉に表すことも難しいような感情になりました。そこには”人生”があり、”平穏な日常”があったということ、野崎町では幸い人命が失われることはありませんでしたが、平穏な日常は奪われ断水も続く中、生活を続けられています。自分たちが少しでも力になれて、何よりも精神的な支えになれたらと感じました。離れた所に住んでいても、”応援”という支援はいつでもできると思います。これから先も、多くに人に現在の状況が届き、多くの方の”応援”が現地に届くよう、微力ながら何かできればと感じています。

 このボランティアを通じて、新たな学びや気づき、経験を積むことができました。改めまして、愛知ボランティアセンターのみなさん、一緒に活動してくださったボランティアの方々、3班の班長、班員のみなさん、野崎町のみなさん、名古屋バスの運転手さんありがとうございました。

高田朋輝
Mail:tomoki.takada.contact@gmail.com




活動に関するお問い合わせ・参加申し込み

愛知ボラセンHP
https://www.aichiborasen.org/
愛知ボラセンブログ(申し込みはこちらから)
https://blog.goo.ne.jp/aichiborasen/c/8694ba5087b9200340f50a9735344fbd


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