時代おくれ

河島英五さんの「時代おくれ」、良い曲です。

思えば何故私がこの世界を目指したのか、それを今更ながら更にじっくりと思い返させてくれる気がします。

ここ数年で私の会社は大きく変わりました。
もちろん必要な変化なのですが、変わらなくても良かったモノ、もっと言えば変わってはいけないモノも変わってしまいました。
そんな中、どこか私も必死に無理をしていたのかもしれません。

私が鉄道マンを目指した理由は、鉄道が好きということ以上に、人間臭い、いかにも時代おくれな雰囲気に惹かれたからです。
同僚と寝食を共にし、暑い日には汗をかき寒い日には凍えながら仕事をし、時には感情を露わにしながら仕事をし、毎日毎日黙々と社会の屋台骨たらんと鉄道を動かし続ける、そんな姿に憧れ自分もその中の1人になりたいと思ったのだと思います。

しかしながら、時代は確実に変わりつつあります。
特に大きな会社ほど顕著で、その変化の中で老も若きも戸惑い、変化を諦める者、チャンスと言わんばかりに動き回る者、未だ行く末を見出せない者、様々です。
そして私は、未だ行く末を見出せない者の1人でありましょう。

行く末を見出せないながらも、自分なりに悩みもがいているつもり…ではあります。
でも、それはあくまで「つもり」であって、そう簡単に結果が出るほど神様は甘くありません。
甘くないというか、多分私自身が本気じゃないのだと思います。

何故か?

やはり、今となっては時代おくれとされる鉄道マンの姿に憧れがあり、それを捨てきれないのだと思います。

「これが運転士がやる仕事か」

そう思うことが沢山あります。
そりゃ、会社から求められている以上は社員としてその仕事に取り組むのは当然ですが、腹落ちして取り組んでいるかと言えば、否。
どこか中指を立てながらその仕事に取り組んでいる気がします。

最近上司によく言われます。

「頑張ってればいつか必ず報われるから諦めるな」

いつかっていつでしょう。
そもそも報われるとは?
偉くなることがそんなに正しいのでしょうか。
今の偉い方々を見ていると、つくづくそう思います。

言わずもがな、コロナ禍の最中、もっともっと思っているよりも早く何かが変わっていくでしょう。
人間臭さはムダ、非効率とされ、どんどん省かれるでしょう。
そうなれば、いよいよ何かを捨てる決心をしなければならないのかも知れません。

「時代おくれの鉄道マンになりたい」

叶わぬ夢なのかもしれません。

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