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サテと、コラショと、サテと

西日本再探訪の旅、もう、80日を過ぎてしまった。お彼岸の日没は「出雲の神門」で拝礼するのだと、そう計っていたが、ら、未だ九州南域をウロついている

ままよ、霊性の風に任せて、なん、世相のユレを傍目に、霊山の登坂路から、また海辺の遍路から流し見て、その社殿の佇まいに信徒の合力よと息を飲み、祈り火の不断かなその継承に首を垂れて立ちすくむ

なむ、フーテンに遊んでフケちまおうか、うん、このまま旅路の中で、もう「お家」になんか帰りたかねーよと、そんな非日常の淵に籠り、窓を閉じて「陰気」に果てても悔いはないと

ジジイの歳こいて何言ってんの「走りの人生」を夢見た若気の盛りじゃあるまいし、め、その明かりもまた一つの法灯なのだろう、たらちねの母神に託されて「縄文の定住」以来、一万数千年の継承だとも、ね、時に手招きされて、時に背を押されて、だからこれからもここにこうしていられる

「3つなら、ちょうど千円にしときますわ、2つで良いですか、あらそういうことなのね、お詣りご苦労様、ほな、お釣りは駐車代の300円」

そしてこのもの言いもまた、長大な伝統の上に鎮座しているのだろう、それは東国人の俺の耳には癒しでもある

「おおきに」


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