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八島国もの語り〜王国時代④

中国「魏志・韓伝」に記す「韓は帯方の南に在り、東西、海を以て限りとし、南、倭と接す/国に鉄を出す、韓・濊・倭、皆従いて之を取る/今辰韓人、皆褊頭、男女、倭に近し、亦文身す/弁辰は辰韓と接す、其の瀆盧国、倭と界を接す」と。

すなわち、古事記外伝曰くヤチホコ大王隠棲し後裔の男王立つといえども、その権勢に翳りあり。ここに「出雲王統」の分流諸派はもとより、諸大王の中から「倭国大王」その玉座をうかがう勢力の台頭ありと。また曰く筑紫大王圏、その北限は朝鮮半島南域に及ぶ、独自の「鉄ルート」を確保してその権勢を高め、出雲大王を凌ぐ。先ず吉備大王、次に大和大王、姻戚を結んで同調し、そして期をみて尾張大王、更にまた関東諸王等が加勢したのであると。およそAD2c頃である。

時に、出雲大王「この神在月の集いに、筑紫大王その貢献すら目にできないのは如何なものか」と。また言う「吉備大王の領国では、今の月歴を神無月と呼ばないのは如何なものか」と。また言う「大和大王、その王統の開墾王等を改め、筑紫より東遷の伝説王とするのは如何なものか」と。すなわち、倭国内に四隅突出型方墳を凌ぐ古墳が、現れ出してきたのである、前方突出型方墳であり、また前方突出型円墳である。

尚、中国「魏志・倭人伝」に記す「倭地は温暖、冬夏生菜を食す/父母兄弟、臥息を異にす/その会同・座起には、父子・男女別なし、人性酒を嗜む/男子は大小と無く皆黥面・文身す/諸国の文身各異なり、或は左にし或は右にし、或は大に或は小に、尊卑差あり/其の俗、国の大人は皆四・五婦、下戸も或は二・三婦、夫人淫せず、妬忌せず。盗窃せず、諍訟少なし/其の法を犯すに、軽き者は其の妻子を没し、重き者は其の門戸及び宗族を没す/下戸、大人と道路に相逢えば、逡巡して草に入り、辞を伝え事を説くには、或は踞り或は跪き、両手は地に拠り、之が恭敬を示す、対応の声を噫(あい)と曰う」と。



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