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渡米47日目 ボストン・クルーズ 多様性が作品を生む!?

渡米してから日々、ブログを書き続けてきたが、秋学期が始まった頃から段々時間的な余裕がなくなってきた。日々ハプニングの連続で、記録に残しておかないと記憶が上書きされてしまう。「今、ここにある日々を忘れたくない」という思いがあり、そういう切迫感にも似た気持ちを抱いて、忙しい中でもブログを綴り続けてきたが、ここ数週間は週末になってようやく溜まった一週間の記録をまとめて記録に残しているようなところもあり、今のこのやり方に持続可能性の限界を感じるようになってきた。また一方で、渡米して8週目に入り、日々の生活もまだまだセットアップが完全に終わったと感じるには程遠いものの、当初に比べるとかなり落ち着いてきて一定のペースのようなものが生まれつつある。そして子ども達も平日は日々の通学があり、僕自身も大学院の課題を1週間単位でこなす中で、渡米してきた当初の日々の闘いようなペースから、1週間単位でのインターバルのようなものに時間の捉え方も切り替わってきているのを感じる。大学院での学びに関しては、とにかく日々が忙しく、この期間を通じて学び取りたいものが沢山あり、そして充実している。毎週の授業に向けてのインプットとアウトプットがあり、そこに対して、ブログへのアウトプットが追いつかない感がある。気がつけば、先週の日曜日からすでに一週間が経ってしまった。しばらくは週単位での更新に切り替えてみようと思う。

▼渡米47日目(10/8日)
ボストンに来て初めて観光らしい観光をした。エマーソン大学が、新入生向けに通常80ドルはするクルーズ観光船を格安の25ドルでチャーターしてくれることになり、仲間達とクルーズランチを楽しむことになったのだ。本当は家族も連れて行きたかったが、アルコールが出るとのことで21歳以下は乗船できないことがわかり、やむなく僕一人で参加することになったのだった。

「クルーズ船さ、ママ、連れてってあげなよ」
「ひろたちはいけないのにいいの?」
「だってママ、ボストンに来てから何も楽しい思いしてないでしょ」

先週のサッカーからの帰り道、大人しかクルーズ船に乗れないことを次男に伝えると、次男はそう言った。次男はとても優しい。妻にそう伝えて誘ってみたが、そうすると子ども達が留守番をすることになるし、今度家族全員で別の機会に乗ろうという話になった。

クルーズ船が出航する港までは少し距離があるので、エマーソン大学の近くからクラスメイトのマヤがクルマで港まで乗せて行ってくれることになった。エディターとしてドキュメンタリーの仕事をしてきた彼女は、先週、僕の短編映画「A Day in the Light」を見てとても気に入ってくれたと話してくれた。彼女はドキュメンタリーに興味がありながらもやはりナラティブ(フィクション)にも挑戦してみたいという思いがあり、自分自身の体験をどこまでフィクションという創作物に落とし込んで伝えられるかにチャレンジしてみたいと思っていたところ、僕が自分自身の網膜の難病を題材に映画を制作したのを目の当たりにして、とても刺激を受けたという。

「自分自身のお父さんがホームレスだったり、連れ子の兄弟がいたり、これまで自分が体験してきたことを反映するような作品が撮りたい」

思いやりと明るさ、ホスピタリティと笑顔に溢れるマヤだが、助手席に座り彼女と語り合いながら、またそうした彼女の新たな一面を新鮮に感じた。

天気に恵まれた一日。海から眺める秋のボストンはとても美しかった。クルーズ船は12時に出港し、僕たちはランチやデザートを楽しみながら、船の屋上のデッキに出ては海から眺めるボストンの街並みを楽しんだ。

二時間のクルーズも終わりに差し掛かる頃、フロアにはダンスミュージックが流れ、まだ20代のマヤやアニーが流れるビートにもはや身体の中から湧いてくる衝動を抑えきれないといった様子で踊り始めた。楽しそうに体を揺らしている仲間を見つめながら、最年長のエバが僕に話しかけてきた。

「もし失礼でなければ、年齢を聞いてもいい?」
「48歳。僕ももし失礼でなければ聞いてもいい?」
「私は63歳」
「全然、そんなふうに見えなかった。僕より少し上ぐらいかと」

この夏サンフランシスコからボストンに引っ越してきたエバは、最近学校での教職をリタイアした後で、映画を学ぶためにエマーソンにやってきた。若くして夫を亡くし、シングルマザーで子ども二人を育て上げた後、ようやく映画を学ぶ時間を得たのだという。ニューヨークで俳優をしている自慢の娘がいる。きっと今、ダンスに興じているマヤやアニーと同じぐらいの年齢だろうか。

「彼女達をみていると、時々、ここは私がいるべき場所なのかなって感じるのよね。今はもう彼女たちと一緒には踊れない。私にもああいう時期があったなと感じるのよね、そして大学院に通うよりも、どこか映画制作のプロダクションに入って、早めに働き始めた方がいいんじゃないかと思ったりもする。あなたはどう?」

確かに、僕も大学を出たばかりで初めてアメリカに来た22歳の同級生のジェリーと接していると、僕は彼の2倍以上の歳月を生きてきたなかで、彼が今経験していることをすでに一度経てきたような感覚はある。客観的に見れば、彼と僕との年齢差よりも、僕の13歳と長男との年齢差の方が近い。

しかし、一方で、僕たちはやはりみんな映画が撮りたくて、それを今後一生の仕事にしていくためにその腕を磨き、経験を積み、ネットワークを築いてためにここにいるわけで、そこにあまり年齢や国籍や人種は関係ないのではないかと感じる。そしてまたそうした多様性、ダイバーシティが新たな創作につながるのではないか。

逆にうもし自分と同じ年齢層で、同じような生い立ちで、同じような考えを持つ人と集まって、映画を撮るのだとしたら、それはあまり僕にとっては作品を生み出すのに刺激的な環境だとは思えない。48年も生きてきたからこそ、知らず知らずに凝り固まりそうになっている価値観や既成概念が沢山あることを実感している。海を渡り、空を駆け巡り、遥かに日本を離れたこの場所で一から映画に向き合いたいと思ったとき、自分自身のコンフォタブルゾーン(安全地帯)を一度離れて、大海原を彷徨ってみた方が、結果的に自分の中に眠っていて何かを呼び起こし、凝り固まった何かを破壊し、錆びついた脳のあらゆる神経細胞をフル回転させて、何か想像もし得なかったような新しいものを生み出す可能性につながるのではないか。気がつけば、僕も髪を振り乱して踊りながら、そんなことを感じていた。

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